東京へ引っ越し!

Mac5102010-12-08

いやあ、ご無沙汰しました。なんと、東京に帰ってきてしまいました!

引っ越しのどたばたで最低限のメールチェックと仕事以外は机に向かう時間がとれずにいた数週間。アメリカの生活を引き払って日本に帰ってくる体験を記録しておきたいと思いつつ、果たせなかったのですが、記憶を頼りに再現してみようと思います。

もともと5年以上滞在する見込みで始まったアメリカ生活。経済情勢その他の事情で主人の会社がワシントンオフィスを閉じる決定をしたので、3年足らずで帰国することになった。後任がいないということは、持っている家財道具をすべて処分するか、日本に持ち帰るかしかない。いつのまにやら雑多にものが増えに増えた生活用品。11月初旬から、日本に持ち帰らない家財道具の行き先を探すことが私の仕事になった。

アメリカのアパートは、冷蔵庫、ガスオーブン、電子レンジ、食洗機、洗濯機、乾燥機などの大きな家電品はアパートに備え付けなので、これらの処分は考えなくていい。日本国内の引っ越しだと、こうしたものも運ぶので、冷蔵庫や洗濯機は数日前から乾かしておくなど準備が必要だけど、その必要はなく、引っ越し最終日まで洗濯ができたり、冷たい飲物が飲めたのは快適だった。

大型家電はいいにしても、電圧の関係で日本に持ち帰らない電気製品はたくさんある。我が家で一番上等な家電製品はダイソンの掃除機。これは持ち帰っても良かったんだけど、アメリカでは圧倒的に小さく思えたので使っていた掃除機も、日本で使うには大きすぎる気がして使ってくれる人を探すことにした。他には、炊飯器、フードプロセッサーハンドミキサー、加湿器、フロアスタンド、デスクランプ、傘立て、本箱、コーヒーテーブルなどなどが捨てるに忍びない家財道具。さらに食器類や小物類、はたまた日本から持ち込んだり家族・友人から届いた日本の食材... 生活を整理しようとすると不要になるものは山のようにあった。

使ってくれる人を探すためにリストを作った。不要品をすべて写真にとって名前やメーカー、サイズなど情報を加えたデータベースにして出力。人に会うたびに渡していた。写真入りのリストは「とってもプロフェッショナル!」と大好評だった。

幸い、私にはアメリカ人の友人も、アメリカに永住するつもりで来ている韓国・中国などアジアの友人も多く(日本人で永住目的でやってくる人はまずいない)、ダイソンの掃除機は昨年新居を購入したばかりのイベットがいち早く手を挙げ、フードプロセッサーや炊飯器は中国からきたウエイに渡り、傘立ては私の送別会を盛大に開いてくれたAnnaの玄関先に収まった。他にも全部で十数人の友人が何かしらを引き取ってくれた。処分に困っているものは全部引き受けて何とかしてあげる、と言ってくれたご近所のスンミは韓国から来ている友人。最後に残った多くの細々したものをスンミが引き受けてくれて、本当に助かった。

日本には粘着テープがローラーになった掃除道具がありますよね、あれはアメリカにはなくて、でも絨毯フロアの住まいに使いたくて日本から持ち込んでいたのですが、リフィルも大量に余っていたので、スンミに引き取ってもらった。後で聞くと、それが彼女の一番のお気に入りで「もうあれのない生活は考えられない!」と言っている。ときどきリフィルを送ってあげないと...

11月最終の木曜日、アメリカ中が日本の元旦みたいに休んでしまうThanksgivingの連休は、ひたすら引っ越し準備。船便で送る荷物と航空便で送るもの、スーツケースに入れて持ち帰るものを区分けしなければならない。ダイニングテーブル、椅子、けっこう奮発して買った組立式の書棚などは持ち帰ることにして、膨大なファイル類、書籍、衣類、食器や台所用品など、ほとんどのものは船便で送る。到着まで2ヶ月。その間に東京の家を整理しなければ。航空便は10日くらいで届くので、お土産品と早急に必要な書類など。スーツケースには帰って即必要な書類やPC関連機器と衣類。

航空便と船便で送る荷物には制限があって、危険物と動植物製品が不可。そのなかに、麦わら製品が入るのだそうで、夏にナッシュビルで買ったウエスタン風のストローハットは引き受けてもらえないという。散歩しながら集めたどんぐりや松ぼっくりもNG。どんぐり&松ぼっくりは捨てることにして、ストローハットだけは気に入っているので、かぶって帰ることにする(手荷物品で持ち帰る分にはOKなんだそうだ)。冬物コートにストローハットはちょっと不釣り合いだけど。

ちなみにアメリ東海岸のワシントンから日本まで、船便はどんなルートを通るんだろうと思って日通に聞いてみました。すると、陸路でニューヨークへ運んで、ニューヨークから船に乗って大西洋を南下、メキシコ湾に入ってパナマ運河を抜けて太平洋へ、太平洋の大海原を渡って日本に届くのだそうだーーちょっと荷物と一緒に旅してみたいルートですね。パナマ運河を抜け熱帯を通っていくので夏場はチョコレートは引き受けられないそうです。

Thanksgivingの連休が終わった11月29日と30日、朝から日通のスタッフが来て、荷物をどんどんパックしていく。番号の貼られた段ボールごとに内容物の明細を作成して保険金額を書いていくのが依頼主の私たちの仕事。二日がかりで荷物を送り出し、最後に残った捨ててしまう家具類(前任の人たちから代々引き継がれた古い本棚やベッドなど)をアパートのゴミ捨て場まで運んでもらって、引っ越し終了。大きなゴミも簡単に捨てられるのでアパート暮らしは便利だった。

最後に残った細かいゴミをダストシュートに放り込み、空っぽになったアパートをあとに歩いて5分ほどのホテルにチェックイン。残り2日、ホテル暮らしをしながら最後に残った事務手続きを済ます。翌12月1日は朝から暴風雨。傘もさせないほどの雨風の中を郵便局とアーリントン郡の役所へ。天候のせいかもしれないが、役所はすいていて、とても親切。前日に売ったクルマの登録抹消など事務手続きは短時間で終了。

予想外に早く片付いてしまったので、地下鉄に乗ってワシントンDC中心部に出る。最終日の数時間、風雨はおさまったが気温が下がった冬枯れのDCを散策。明日はいよいよ、日本に向けて帰国する。意外にあっけなく幕切れになってしまったアメリカ生活。でも、友人はたくさん出来たし、情報源も確保してあるし、友人たちから届くアメリカ便りをもとに、これからもレポートは続けていくつもり。

次回は、帰国後、3年近くうっちゃっておいた家で暮らし始めるどたばたをレポートします。

Thanksgiving Day 引っ越し準備中です

Mac5102010-11-26

アメリカは11月25日 Thanksgiving Dayの夜です。
その昔、イングランドからメイフラワー号でやってきた移民たちが、困難な航海で病人が大勢でて、アメリカに着いてからも何もない土地でろくな食料もなく多くの人が命を落とすなか、先住民のインディアンの助けを借りてどうにか1年間生き延びて収穫を迎えられたことを祝い、感謝の宴を催したのが、Thanksgivingの始まり。

いまでも家族が集まってターキー、マッシュポテト、クランベリーソース、パンプキンパイなどの伝統料理を食べ、ニューヨークのデパート、メイシーズ主催のパレード中継を見て、フットボールの試合を見て過ごすのが風習。日本の元旦とよく似ていて、商店もレストランもどこもかしこも休みで、街はひっそり静まりかえっています。

昨年は知り合いのアメリカ人のお宅に招待されて、ごくごく伝統的なThanksgivingディナーをいただき、フットボールの試合も見ましたが、今年の我が家は、段ボールに囲まれて引っ越し荷造りの真っ最中です。

そう、間もなく東京に戻ることになりました。当初は5年の予定で主人の赴任につきあってアメリカ暮らしを始めたのですが、予算削減やら何やらで海外事務所を閉鎖することになり、3年足らずで帰国することになりました。私はまだまだやりたいことがあったので残念ですけど、仕方なく。

ただ、 いつか書こうと思っていたテーマやまだ勉強不足で書けないと思っているテーマもあるし、こちらにたくさん友人が出来たし、情報源も確保してあるので、折々のブログ更新は続けるつもりでいます。

そんなわけで、引っ越しと帰国でここしばらく忙しく、ブログ更新は滞りますが、12月2週目くらいには、東京からお届けしようと思っています。取り急ぎのご報告まで。

HGTV アメリカ住宅事情

365日一日中、食べることに関する番組を放送しているFOOD NETWORKというケーブル局のことは、以前に紹介した。フジテレビからフォーマットを買って「アメリカ版料理の鉄人」を今でも続けてやっているところだ。

このFOOD NETWORKの姉妹局に、HGTVという局がある。
http://www.hgtv.com/
こちらは、一日中、住宅に関する番組を放送している。HGTVはHome and Garden Televisionのことらしい。「衣食住」のうち「食」と「住」はアメリカでは特に関心が高いというか、お金になるビジネスなのだと思う。(「衣」は、大都市以外ではかまわない人が多いからなあ...)

このHGTVの看板番組「House Hunters」は家探し番組。引っ越しを考えている人が登場して、地域、予算、間取り、床はHard Wood Floor(日本で言うフローリングですね)とか、クローゼットが広いこととかWish Listを出すと、不動産屋が候補を3件紹介して、家を案内するという番組。見ているとアメリカ各地の住宅事情が分かって、とても面白い。

例えばテキサス州の大都市郊外だったら、広大な土地に建つ4ベッドルーム、5ベッドルームの家が1500万くらいで手に入る。同等の家をニューヨークやロサンゼルスの郊外で探そうと思ったら1億以上が相場だ。私の住むワシントンDC郊外も住宅価格は割高。3ベッドルームが5000万〜7000万。DC市内なら1億近い値がつく。(1ドル100円くらいで計算してます。今だったらさらに安いですね)

3ベッドルームは、日本風に言うと3LDKだけど、ひとつずつの部屋が大きいので床面積にすると日本の標準の倍はある。国土が広いということは、本当にうらやましいと思う。

このHouse HuntersにはInternational版もあって、海外で暮らすアメリカ人がその土地で家を探すのを同じ手法で紹介する。アメリカ人の独身サラリーマンが東京で家を探す番組を見たことがある。狭くて高い、とつくづく思ったけど、パリやローマも似たようなものだった。

住宅に関する文化の違いで面白いなあと思うのが「Design to Sell」という番組。家を「売るためにリフォームする」番組。壁を塗り替えたり、家具を現代的なものに変えたり、キッチンやバスルームの設備を新しくすることで、元手を数十万かけても販売価格が100万単位で違ってくるからリフォームしましょう、というワケ。なお、アメリカの住宅は冷蔵庫を含むキッチン設備と洗濯機・乾燥機は家についてくるものというのが常識になっている。簡単なことはプロに頼まず自分でやれば安く上がる。番組は、そんなノウハウを実際に家を売ろうとしている人の実例で紹介してくれる。

これは割に普通のことらしくて、知り合いのDanが半年くらい前から、亡くなったご両親の家を売るために徹底的にリフォームした。床を張り替え、キッチンのレンジ、冷蔵庫、オーブンなど最新機種に変え、バスルーム設備を変え、外壁も塗り替え、前庭も作り替えた。忙しかったのでプロに頼んで総額400万くらいかかったけれど、周辺の相場より1000万くらい高い売値をつけて売りに出したら、わずか1週間で買い手がついた、と言っていた。

HGTVには他にも、インテリアをリフォームする番組、家の外観や庭を作り替える番組、初めて家を買う人の家探しに密着して紹介する番組などなど、様々な切り口で住宅のことだけに特化した番組が毎日毎日放送されている。

我が家のお気に入りは、Holmes on Homesという番組。Holmesさんという大工の棟梁が、欠陥住宅や欠陥リフォームをつかまされて泣いている人を助けにいく。欠陥部分を修復するために、たいてい土台からやり直すことになるのだが、壁や床をはがすと、電気配線がめちゃくちゃだったり、柱が土台に乗っていなかったり、構造上の欠陥が次々現れる。Holmesさんはそれを「This is unacceptable (とんでもない!)」とか「This is illegal(これは違法だ!)」とか嘆きながら、どこがなぜ問題なのか説明してくれる。最後はきっちり欠陥を修復して、依頼主の希望以上の家に仕上げてめでたく終わる、というワケ。家を造っていく課程や詳しい構造を説明してくれるので、面白くて楽しみな番組です。

このHGTVには、一年に数回、視聴者に家をプレゼントするという企画がある。Dream Homeという企画は、人気の建築家とインテリアデザイナーが作った最先端の家が用意される。家だけでなく家具も電気製品も食器も、必要なものは全部そろっている家と、その家に移り住むために必要な費用50万ドル(4500万くらい)までつく。まさに夢のような話。2010年のDream Houseは、ニューメキシコ州の周囲に何もない丘に建つ豪邸だった。これほど大規模ではないが、ニューヨーク、マンハッタン中心部のインテリアを人気デザイナーが仕上げたコンドミニアムがもらえるUrban Oasisという企画も進行中。

このHGTVがいいのは、建築家やデザイナーなども含めて、登場するのがみんな一般の人たち。かれらの自然なやりとりは、英語の表現を学ぶのにとてもいい。そんなわけで、私もそうですが、非英語圏からアメリカに来て、HGTVとFOOD NETWORKにはまってしまった友人たちは、けっこう多いです。

働く女性たちの足もと

ワシントンDCは政府機関や法律事務所、(日本でいうと○○協会とかの)公益法人など堅めの職場が多いせいか、通勤している女性たちの服装は概して地味だ。たいてい黒や茶色のパンツにジャケット。首から社員証などのIDカードをぶら下げて片手にブラックベリーiPhoneなどスマートフォンを手にして歩いている。バッグは、これまた黒や地味な色の大きめのショルダータイプ。

地下鉄の中で見かける彼女たちの中に、春から秋はFlip Flopsと呼ばれるゴム草履みたいなものーー日本のビーチサンダルよりは高級で革製だったりするがーーを履いている人が大勢いる。え? オフィスにゴム草履? と思うが、そうではない。職場のある地下鉄駅に着くと、彼女たちはショルダーバッグからひょいとハイヒールを取り出す。Flip Flopsをハイヒールに履き替えてキャリアウーマンのいっちょあがり。入り口でセキュリティチェックのあるビルに入っていく。こんな光景をよく見かける。

私は通勤しているわけではないが、週に2回ぐらい夕方の通勤時間帯に地下鉄でDC中心部から帰ってくるーーちなみに夕方の帰宅ラッシュはだいたい午後4時〜6時。6時を過ぎてしまうと地下鉄は空いてくるーー。夕方も同じことが繰り返される。ハイヒールで地下鉄ホームに降りてきた女性がバッグからFlip Flopsを出して履き替える。履いていたハイヒールは、無造作にバッグに放り込む。

バッグの中がどうなっているか見たことはないが、彼女たちは履き替えた靴をいちいち袋に入れたりしないで、そのまま無造作にバッグに放り込む。少なくとも、私が見かけた女性たちは、全員がそうだった。最初はちょっとびっくりした。ほかのものと一緒に靴をむき出しでバッグに入いれちゃうの? 多分、毎日のことなので、バッグの中に仕切りでも作ってあるのだろう、と思うことにした。

Flip Flopsで通勤するということは足はもちろんナマ足だ。いちいち履き替えたりしないで歩きやすそうな、かかとの低い靴で通勤している女性も大勢いる。そういう女性たちも、ほぼ全員、ナマ足。ストッキングは履かない。素足のまま靴を履いている。

素足で靴を履くと、実はあまり履き心地は良くないし、足に汗をかくと気持ちよくないですよね。なのでつま先とかかとを覆うくらいで靴を履くと見えなくなる程度の足カバーのようなソックスを売っている。そういうのを履いている人もいるとは思う。でも、見た目はナマ足。

2年くらい前だったか、どこかの中小企業で社長さんが「女性職員はオフィスではストッキングを履くように」という社則を作って女性職員が猛反発しているという事件が、全国ニュースに取り上げられて大騒ぎになったことがある。いろんなメディアが道行く女性たちにこの社則をどう思うかインタビューした映像を流していて、ほぼ異口同音に「ストッキングは履かない、特にオフィスでは絶対に履かない」と女性たちが答えていた。

結局、女性職員の反発と騒ぎの大きさにびっくりしたのか、この社長さんはストッキング着用を義務づける社則を撤回したそうだ。

「特にオフィスではストッキングは絶対に履かない」と答えた女性たちの言葉が象徴しているように、ストッキングは女性差別の象徴のようなイメージを持たれている。あるいはストッキングを履くことは、自分がとても保守的な女性であると自己表現をするようなものらしい。それに、単純に、”カッコ悪い”んだと思う。

でも、そこまで頑張らなくても、と思ったことがあって、昨年の1月、ちょうど大統領就任式前後でワシントンは最高気温でも氷点下10度くらいの極寒だった頃。あちこちでパーティが開かれていてパーティドレスの女性たちを数多く見かけたが、ドレスの上にコート。足もとはハイヒール。そして、ナマ足。タイツを履いてブーツを履いて、それでも寒かった私にしてみれば、そこまで頑張らなくてもいいんじゃないの?と思った。

青鞜(せいとう)=blue stockings が女性解放の象徴であった時代が、さらに進んで、no stockingsが進んだ女性の証拠ーー「無鞜」とでも呼びますかーー。でも。カラフルでお洒落なタイツはいいらしくて、すっかり冷え込むようになった晩秋のワシントン。今年の秋はブーツにタイツの女性たちをずいぶん見かけるようになりました。よかった、よかった。

中間選挙直前:Restore Sanity!(正気を取り戻そう)

アメリカは中間選挙まで2日と迫った週末。下院全員と上院の三分の一、36州の州知事を選ぶ中間選挙は、オバマ陣営の民主党が苦戦していると伝えられる。2年前に熱烈にオバマを支持した若者層が今回はすっかり白けている感じだ。

中間選挙は地方選なので、テレビでは連日、地元候補の選挙CMが満載。自分の政策を語るのでなく、ライバル候補の失策をあげつらうネガティブキャンペーンばかりでうんざりする。おどろおどろしいナレーションが伝えるのはこんなこと。
「彼はこの3年間に、自分の給料を3割もアップさせたが、教育費を3回も削減した。彼がくる前に比べて失業者は10倍に増えている」
「彼を良く知る人たちは彼を嘘つきだという。彼の会社は過去に40回も訴訟を起こされている。残念ながら彼にはこの州の政治を任すことはできない」

そんな悪い奴が大手を振って公職についていいものかと思うような内容が続く。真偽のほどは分からない。たとえ正しくない情報で訴訟になったとしても、その前に選挙は終わってしまうから、言った者勝ちだ。

さらに今回は、共和党のなかで最も保守的な”Tea Party”が勢いづいているのも人々をうんざりさせている。現政権のやることはすべて反アメリカ的といわんばかりの主張に、冷静な人たちは、彼らは無責任に何にでも反対しているだけで、建設的な政策は何もないと言っているが、何となく全体が極端な方向に流されているようで雰囲気は良くない。

そんななか「Restore Sanity:正気を取り戻そう」というイベントが昨日の土曜日ワシントンDCで開かれて、予想を上回る人が(多分、数十万人)が集まった。

イベントを呼びかけたのは人気コメディアン/司会者のJohn Stewart。MTV傘下のケーブル局Comedy CentralでThe Daily Showという30分番組を月曜日〜木曜日の週4日やっているトークショーホストだ。彼の番組は、ニュースを面白おかしく風刺で伝えたり、政治家やメディアの言動をばっさり切り捨てるコメントで、20代30代の若い世代を中心に圧倒的な人気を誇る。

テレビはほとんど見ないがジョン・スチュアートだけは見る、という話を、私は実に多くの人から繰り返し聞いてきた。政府機関や公益法人、法律事務所が多いワシントンの人たちは全米平均より知的水準が高く、どちらかといえばリベラル派が多い。彼らにとってジョン・スチュアートは見ておかないと翌日のオフィスの会話に支障を来す類のものだ。彼の番組にゲスト出演することは、政治家や著名文化人にとって絶好の機会。先週は、オバマ大統御本人がゲスト出演した。

さて、秋晴れの土曜日午後に行われた「Restore Sanity」イベントには、早朝から人々が大挙してDC中心部に押し寄せた。私は混雑を避けて、前日のリハーサルの様子をちょっと見に行ったけれど、当日はテレビ観戦。ワシントンのナショナルモールを、ステージが作られた東端の国会議事堂前から西端のリンカーンメモリアルまでほぼ埋め尽くした人の数は、150万人と言われたオバマ大統領の就任式には及ばないが、その半数はいたんじゃないかという感じの人波。一コメディアンが呼びかけたイベントにこんなに人が集まるのは、いかにみんなが今回の選挙にうんざりしているかを示しているのでは?

このためにわざわざアラスカから来たとか、カリフォルニアから来たとか、びっくりするような遠い場所から来た人もたくさんいた。なぜ、そんな遠くから?と聞かれて「今回の選挙には本当にうんざり、正気でいるには来るしかないと思った」とか「同じように思っている人たちと一緒に盛り上がりたかったから」とか。

正午に始まった3時間のイベントは、スタートから2時半過ぎまではライブ音楽と世相を斬るお笑いで聴衆を楽しませた。どこかの党を支援するわけでも、具体的な候補者の名前を出すわけでもなく、あるいは政策の是非を語るわけでもない”政治集会”が続いていく。

Comedy CentralでThe Daily Showの後の30分番組を持っているスティーブン・コルベールも一緒にイベントに登場して、混ぜっ返す役割を果たした。もともとジョンは大人が笑える番組を、コルベールは学生受けの笑いを得意としている。

最後の15分、ジョン・スチュアートがついにマイクを握って語り始める。
ーー「政治とマスコミは、人にいろんなレッテルを貼って、対立を作りだしている。アメリカ社会が病んでいて、(党の超えて)協力しないから問題を解決できないと恐怖を煽る。でも、現実の社会で人は、毎日毎日、協力しながら問題を解決している。協力して問題解決が出来ないのは、(背後の国会議事堂を指さして) ここと、(FOX newsなど)ケーブルテレビだけだ。

ーー「幸い、アメリカ人は「ここ(政治)」で生活しているわけでも「ケーブルテレビ(マスコミ)」に住んでいるわけでもない。同じ価値や原理を共有できる場所で、日々協力して問題を解決しながら生きている。ほとんどのアメリカ人は、純粋に共和党だったり民主党だったりリベラルだったり保守だったりするわけではなく、いつもちょっとだけ何かに遅れを取ってしまう人間らしい人間として生きている。嫌でもやらなければならないことを、何とか妥協しながら日々の暮らしを続けている」

選挙CMやニュースが伝える極端な情報ではなくて、日常から政治を考え直そう、情報に踊らされるのではなくて「正気を取り戻して」行動しようーージョン・スチュアートが伝えたのは、たったそれだけのメッセージだったが、最近の選挙CMやティーパーティのニュースにうんざりしている多くの人にとっては、まさに「正気に戻れる」「自分の感覚にフィットする」メッセージだったようだ。

このイベントが火曜日に行われる中間選挙の結果を大きく左右することはないだろうが、これだけの多くの人が賛同して集まったことに、なんだか救われたような気がしている。

なおジョン・スチュアートは来年のアカデミー賞司会者に決まったそうです。彼のスピーチは下記YouTubeで見られます。


http://www.youtube.com/watch?v=jXmbzLI3pnk

アメリカが注目する日本の「草食系男子」

縮こまる経済、希望を持てず覇気のない若者たちーーそんな日本の新しいイメージを紹介するニュースが続いている。

ニューヨークタイムズは10月17日の日曜版に「Japan Goes From Dynamic to Disheartened(ダイナミックな経済から一転、自信喪失した日本)」という大きな記事を掲載した。
http://www.nytimes.com/2010/10/17/world/asia/17japan.html?_r=1&scp=1&sq=Japan%20Goes%20From%20Dynamic%20to%20Disheartened&st=cse
すごく長い時期だったのですが、要約すると;

かつてアジアの片隅から躍り出て西欧の繁栄を脅かすかに見えた日本は、バブル崩壊後、デフレ経済から抜け出せずにゆっくりと衰退している。そんななかで人々は自信を失い、かつては大きく投資をして大きく消費する豊かさを楽しんでいた世代とは違う「消費嫌い」の若者たちが増えているーーというような内容。

そして今朝(10月25日)のワシントンポスト。「Japan’s young men seek a new path(新しい道を模索する日本の若者たち)」という、これまたけっこう長い記事。(優しそうな〈草食系男子〉の写真が何枚もついています)
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/10/24/AR2010102403342.html

ニューヨークタイムズは経済分析記事だったが、ワシントンポストは、日本の若い男性たちに焦点をあてる。彼らは「草食系:herbivorous」で内向きになり、日本経済の成長を支えた親世代の「モーレツ」とは違う道を模索している。クルマをほしいとは思わないし、お酒もあまり飲まない。安定しているが毎日14時間も働く仕事は辞めて自分らしい人生を送りたいと思っている。お金や物質や名声に執着せず、おとなしくて優しくて質素で礼儀正しい、それが今の日本の若い男性像だと。実際、最近発表された統計によると、20代の平均年収は女性が男性を若干上回っている、とも紹介されている。

ニューヨークタイムズワシントンポストの記事は、いつも数多くのコメントが寄せらる。これも面白い。今朝のワシントンポストに寄せられたものをいくつか拾ってみる。

≫≫ 消費低迷のもとの原因についての言及がないのがおかしい。ブッシュ政権が当時の自民党小泉内閣に、日本人がため込んでいる莫大な貯蓄額を減らし、給与を引き下げるように強要したせいで派遣労働者が増えた。仕事が3ヶ月か6ヶ月先までしかないのにお金が使えるわけない。あのトヨタだってこうした非正規雇用を使っている。自民党が政権を失ったのは理由があることなのだ。(同様な内容の発言はいくつもありました)

≫≫ 親世代は若者たちに頑張って稼いで出世して、物質的な豊かさを享受するよう鼓舞してきたが、その結果、日本は機能不全に陥って伝統的な価値を見失い、アメリカみたいに分不相応の消費をするようになっていった。親の世代と違う暮らしを模索するのは、消費習慣から覚醒するプロセスで、家族との時間を持てたり伝統の価値を見直すことになるなら、新しい道を模索することは賢いことだ。

≫≫ 現在の不況を体験しているアメリカの子供たちも、やがて同じように浪費をしなくなるんじゃないか?

≫≫ 親の世代と違って物質的な豊かさは幸せをもたらさないと気づいたんじゃないの。そのどこが問題なわけ? 彼らのほうが親世代より幸せなんじゃない?

≫≫ 東京でそれができるなら、ロサンゼルスでもロンドンでも北京でもできるんじゃないか? 世界の若者よ、連帯しよう!

アメリカより先にバブルが弾けて景気が低迷し、デフレが深刻化している日本は、アメリカ社会の先行きを映す鏡のように思われている。アメリカでも、消費を控えて貯蓄に走る若い世代が増えて問題になっているらしく、最近、経済学者ポール・クルーグマンの講演の一部をネットで見たが、「アメリカ経済のサプライサイドに問題はない。問題は消費者がお金を使わないことだ」と話していた。アメリカ政府が需要を喚起する政策をとる必要がある、というのが結論だった。

経済分析についてはさておき、ニューヨークタイムズワシントンポストアメリカで最も権威のある2つの新聞で立て続けに1面にこうした記事が載った。アメリカも丹念に新聞を読む層はいまや少数派だが、この2紙の論調はやがて数多くの世界のニュースに波及していって、やがて日本のイメージとして定着していくはず。どうだろう?

そうそうコメントでこんなのもあった。
≫≫中国がほくそ笑んでいるぞ。

Facebook とSuperman 映画の話です

先週末に立て続けに2本、映画を見た。こちらの映画館は、いわゆるシネマコンプレックス。ひとつの建物に10くらいの劇場が入っていて、話題の映画は2つの劇場を使って1時間おきくらいに始まるほど。

二つ見たうちのひとつは話題の映画。Facebook創始者マーク・ザッカーバーグの物語「Social Network」。ハーバード在学中のコンピュータ天才学生が、ガールフレンドに振られた腹いせに作った女子学生を選別していくゲームサイトが大成功したのをきっかけに、ソーシャルネットワークのアイデアを得て、それを形にして成功していく。その過程で、アイデアを盗まれたと同じハーバードの学生から訴訟を起こされ、やがてパートナーとしてFacebookの立ち上げに資金面で協力した親友からも訴えられる。映画の半分は訴訟の調停場面で、お金にも名声にも興味がなく、ひとりだけ思考回路の違うマークと、周囲の法律専門家や原告たちとの噛み合わないやりとりが面白く、その間に、Facebook立ち上げとブームに乗って成功していくストーリーが挿入されていく。日本でも来年1月に上映されるようです。こういう世界に興味があれば、面白いと思います。

もうひとつは、ドキュメンタリーで「Waiting for Superman」というアメリカの公共教育の問題点をあぶり出した映画。アメリカのパブリックスクールはひどいとは聞いていたが、ここまで深刻な問題なのかとあらためて知らされる。

アメリカの子供たちは先進国30カ国のうちで数学の成績25位、理科21位。ひとつだけアメリカがダントツ1位があって、それは「自信がある」という項目。高校の卒業率は3割を切り、先進28カ国中20位(1位ドイツ、日本は4位)。年間120万人が学校をドロップアウト。公立高校はドロップアウト・ファクトリーと呼ばれるようになっていく。高校を卒業していない人の犯罪率は、卒業している人の8倍。新規採用の9割以上が高卒以上の学歴を求めるので、事実上仕事に就けないのと同じ。

こうした教育現場の荒廃の要因を、この映画の監督は「教師の質」に落とし込む。アメリカの教育機関にはTenure:終身在職権という制度があり、大学ではTenureを得ることの難しさから、よくミステリーの題材になったりしている。ところが公立学校では教師のTenureはほぼ自動的に(確か2年だか3年勤務するだけで)得られるという。(過去の歴史に、校長が気に入らない教師を簡単に解雇したりする事件が頻発して、こういう制度になってしまったらしい)

Tenureを得た教師は、別に頑張らなくても給与が保障されるので、十年一日の内容を教室で教えるようになる。生徒に「自習」と言い渡して自分は新聞や雑誌を読んで時間だけつぶす教師を密かに撮影した映像も挿入され、ごく一部であろうが質の悪い教師を解雇できないシステムの現状を、映画は見せてくれる。

逆に頑張って生徒たちの成績を上げたり問題に取り組んで成果を上げても、そういう優秀な教師に特別の待遇を与えることができない仕組みなのだという。さらに全米教員組合の力も強く、政治が組合を的に回せない構図も出来ている。そんなこんなで、アメリカでは医師の57人に1人が医師免許を失い、97人に1人の弁護士が弁護士資格を剥奪されているのに、教員免許を失う教員は、250人に1人ほどだという。

アメリカの首都ワシントンDCは、数年前に全米の統一試験の結果、基礎学力が最も低い地域という不名誉な記録を作っている。4年前に就任した黒人のフェンティ市長は、教育改革のためにミシェル・リーという女性の教育長を任命する。彼女の大胆な改革は、全米の教育改革の象徴のような存在。この映画でも彼女の改革は大きく扱われる。まず、質の悪い学校をバッサリ閉校にし、大量の教員を解雇する。さらに大胆な提案で世間をあっと言わせる。Tenureを持ってこれまでどおりの教職を続けるなら給与は上がらないが、 Tenureを放棄すれば、つまり、成果を評価されることに同意すれば、給与をほぼ倍増させる、というもの。やる気があって成果を出せる教師を正当に扱おうという試みだったが、これは組合の強烈な反対にあって、採用するかどうかの議決にさえ持ち込めなかった。

じゃ解決策はないのかというと、成功している取り組みもある。チャータースクールという制度で、地域の教員や親などが一定の目的(数学に特化するとか)でチャーター(認可)を得て規制の枠組みにとらわれない学校を開設できる仕組み。一部で成果を上げている。私の家の近くにある「サイエンス・フォーカス・スクール」もチャーター校のひとつだ。

親が金持ちなら私立のよい学校を選んで行くことができる。あるいは親に時間と学力があればホームスクールという制度で、親の指導のもとで家で勉強して充分な学力のあることを試験で照明すれば卒業証書が得られる。問題は、貧しくて両親とも働いているか片親だとか、私立にも通えない、ホームスクールも無理な平均以下の子供たち。彼らはパブリックスクールに行くしかないが、住んでいる地域のパブリックスクールの質が悪かったら、残る選択肢は、その地域の質のいいチャータースクールしかない。

「Waiting for Superman」はチャータースクールに入学申込をした5〜6人の子供たちの事情を追いながらアメリカの教育現場の現状をデータと映像で伝えていく。子供たちが待っている「Superman」とは、チャータースクールへの入学許可のこと。質の高いチャータースクールは10倍20倍の倍率で、生徒をくじ引きで選ぶ。

映画は最後に「子供たちの将来をくじ引きに託すのではなくて、すべての子供がよい教師に恵まれて質の高い教育を受けられるように行動を起こしてください」というメッセージで締めくくられる。

チャータースクールで成功しているのは5校に1校と言われるし、普通のパブリックスクールの全てが質が悪いわけではない。教師たちのほとんどは熱心で、最近の自治体の予算縮小のあおりをうけて、自費で教材を用意している先生たちが7〜8割に達するというデータも。この映画は、チャータースクールの良い面だけを取り上げ、全米教員組合を悪者に描きすぎている嫌いはあるのだが、ドキュメンタリーとしてはとても良くできていて本当に面白かった。日本で公開される予定はまずないと思いますが、予告編映像はこちらで見られます。
http://www.waitingforsuperman.com/trailer

この中で”We’re gonna change the face of public education in this country”と語っているのがDCの教育長ミシェル・リーですが、実は市長のフェンティ氏が次期市長候補から外れてしまったので、リー教育長もつい先週、辞任を発表しました。DCの子供たちの学力は着実に向上していたのに、残念です。