RIP, Steve!

Rest In Peace, Steve!  スティーブ・ジョブスが亡くなった。

面と向かっては会ったことのない一企業の経営者の死が、なんでこんなに寂しいのだろう。世界が、少しだけ面白くない場所になってしまうような、寂しさ、かな。

ネットの上にはジョブスへの追悼メッセージが溢れている。

Google創始者の一人、Sergrey Brinは、Google+にこう書いている。
Googleを始めたばかりの頃、ヴィジョンやリーダーシップにヒントがほしい時には、クパチーノ(Apple本社の場所)を見れば良かった。スティーブ、君の最高のものを求める情熱は、Apple製品を手に取ったことのある人なら誰もに伝わってきた。今、ボクがこの文章を書いているMacBookも含めてね」

FacebookのMark Zuckerbergのコメント。
「自分が作るもので世界を変えることができるんだと教えてくれた」


日本のテレビニュースでも詳しく紹介されていたけれど、2005年のスタンフォード大学卒業式でのスピーチが素晴らしい。
Appleの開発者会議や新製品発表会では、常に原稿など見ずにフリーハンドでいくらでも話ができるジョブスが、 15分くらいのスピーチを珍しく原稿を見ながらスピーチする。
http://www.youtube.com/watch?v=UF8uR6Z6KLc

自信は大学ドロップアウトのジョブスが「こんなに大学の卒業式に近づいたことは人生初めて」と笑いを取りながら始めるスピーチは、3つの話からなっている。

ひとつは、自分の生い立ち。子供を大学に行かせることを条件に彼を養子に出した生みの母親と、その約束を守るために懸命に働いた養父母のこと。それなのに大学にいてもどうにもならないと感じてドロップアウトしてしまったこと。その時の経験が後に役立つこと。

二つめは、自分の作った会社から追い出されてしまったことーー人生最高の出来事だったと振り返る。

三つ目は、「死」について。すでにすい臓癌と診断されて手術を受けたあとのことで、卒業して社会に出て行く学生たちに語りかける。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma ― which is living with the results of other people's thinking.
ーー君たちの時間は限られている。だから他人の尺度で生きようとして時間を無駄にするな。

そして最後に、1960年代後半から70年代初めの若者たちのバイブルだった Whole Earth Catalogについて語り始める。物質文明に染まらずに生きていくための知識や雑学を集めた本(だったと、はるか昔にハス読みした記憶によると)。

ベトナム反戦が盛んな時代にアメリカの若者に受けた本で、ジョブスはこれを当時のGoogleみたいなものだったと言う。

Whole Earth Catalogは、何冊かシリーズで出版された後に、最終号を迎える。
最終号の裏表紙は、早朝の田舎道の写真に
「 Stay Hungry. Stay Foolish」
の文字が添えられていた。

「ずっとそうでありたいと思い続けてきた」とジョブスは語り、卒業していく学生たちにこの言葉を贈る。

「 Stay Hungry. Stay Foolish」

35年前にWhole Earth Catalogを作った Stewart Brandに刺激を受けた若者がAppleを作り、そのSteve Jobsに刺激を受けた次の世代がGoogleTwitterFacebookを作り、さらに...

Jobs亡き後も、世界には面白いものを届けてくれる若者たちが続いていくのだろう。

でも、やっぱり、寂しいですね。

どうにか夏を乗り切って...

秋晴れの連休いかがお過ごしですか? 早朝2時間のロングウォークから戻ったところです。前回の更新が「暑中見舞い」って、放っておきすぎでした。反省してます。

4年ぶりの日本の夏を何とか乗り切りました。昨年の今頃ワシントン郊外にいて、日本から遊びに来た人たちが口を揃えて「今年の夏は暑すぎて、何もできなかった」と言っていたことの意味が実感できたような。

ワシントンも暑いところでした。ワシントンや私の住んでいたヴァージニア州は「南部」に分類されます。真夏の温度は東京と変わらないし、アメリカの基準では蒸し暑いところとされていました。でもね、東京の蒸し暑さは、ワシントンの比じゃなかった。緑や土が少ないせいもあるのか、夜になっても涼しくならないどころか、マンション暮らしじゃ夜になるとますます室内の温度が上がるんだから。

それに、この2週間ほど仕事が忙しくて、家に帰るとパソコンを立ち上げる気力をなくしていた。

ここまで、2ヶ月何もしなかった言い訳です。それにしても、10日ほど前にひとつ歳を取って、バースデーメッセージをいくつかいただいていたのに今朝気づいた。Thank You &ゴメンナサイ! 平身低頭です。

この間、ワシントン周辺では、1897年以来という(あの辺にしては)大地震に見舞われ、過去最大級のハリケーンが襲来して、そして10年目の9月11日を迎えた。向こうの友人たちのつぶやきや書き込みを読んでいると相当に緊張した日々を送っていたらしい。

まず8月23日の地震は、マグニチュード5.8。日本だったら「あ、地震」と仕事の手を休めて様子を見るけど、慌てて机の下に隠れたり外に飛び出す大きさではない。
実際、翌日のワシントンポスト紙は、地震の規模を昨年のハイチ地震(M7.0)や東日本大震災(M9.0)と比較する図を掲載して決して大地震じゃないと説明していた(図)。

それでも、アメリ東海岸でこの規模の地震は1897年以来というから、ほとんどの人が生まれて初めて経験する大地の揺れ。慌てて外に飛び出して大混乱になった。
特にその日は抜けるような青空の快晴で空気がキリッと澄んでいた日だったとか。これは10年前の9月11日を思い出させる天気だったらしい。地震そのものより、911テロを思い出して動揺したという国務省勤めの友人の書き込みに多くの人が「私も同じことを感じた」とコメントを寄せていた。

その数日後8月27日頃には「カテゴリー1」つまり最大級のハリケーンIreneがカリブ海から北上してきて、東海岸沿いのワシントン、ペンシルベニア、ニューヨーク、ボストンなど大都市の機能をマヒさせた。

地震にハリケーン、いったい次は何?」みたいなつぶやきが行き交っていた。友人たちは政府関係者が多いので「その次」は、10年目の9月11日かもしれない、という不安があったみたい。9月に入るとテロ警戒のレベルが上がったが、何事もなく10周忌を迎えた。今年はちょっと肌寒い日だったらしい。

そして、その翌週になると、友人たちのつぶやきは、不安から解放されてはっちゃけた感じのものが増えた。洗濯物と一緒に新品のスマートフォンを洗っておしゃかにしちゃった、なんてのもあったけどね。

猛暑に地震にハリケーン(台風)。規模は違えど、ワシントンも東京もそう変わらないニュースの中で暮らしている。テロの恐怖がないだけ、東京はましと思うか。いやベクレルやシーベルトを気にしなくていいワシントンのほうが良いのか...

秋風の季節になったことだし、もう少しまめな更新を心がけます。

暑中お見舞い!


暑中お見舞い申し上げます。 ご無沙汰しました...

暑いですね。アメリカ帰りが経験する久々の日本の夏。昨年の猛暑のニュースはさんざん聞いていたので、きっと昨年よりはましなんだと思いますが、節電の夏は、やはり暑いです。

昨年まで住んでいたアメリカの首都は、蒸し暑い場所として有名で、私も向こうにいるときは暑い暑いと思っていたけど、夜半でもねっとりまとわりつくような東京の熱気とは、やっぱり違う。明け方はひんやりして、午前中はエアコンなしで過ごせる気候だった。

帰国後、新品に入れ替えたばかりの居間のエアコンが(新品なんですよ!)、2度も修理に来てもらって、ようやくまともに冷たい風が吹き出すようになった。なんでも室外機と結ぶパイプから空気が漏れて、熱交換をしていなかったとか... 

先週、アメリカの友人たちにメールを送った。
「みんなワシントンは暑いところだと思っているだろうけど、Tokyoはそれどころじゃない。日本にはCool Bizってのがあってね、エアコンを28度に設定して働くの。そのうえ、今年は原発事故の影響で節電しなくちゃならないからSuper Cool Biz。効き過ぎのエアコンで震えていたアメリカが懐かしい...」とか...

ところが、先週末からアメリ東海岸をHeat Wave,熱波が襲っている。Facebook友達のイベットから、
With today's high temperature predicted to be 103 F (nearly 40 C)--with heat index of 120 F (nearly 49 C)... I'm not lovin' this Washington heat wave!
今日の最高気温予想103F(ほぼ40度)、体感気温は120F(ほぼ49度)...このワシントンの熱波はうれしくない!
というメッセージが届いた。

今年の夏は、ワシントンより東京のほうが涼しいかもしれない。それなので、アメリカの友人たちに向けて暑中見舞いを作ってみた。日本には”暑中見舞い”という習慣があるんだけど、アメリカ東部のみなさんには、本当に”暑中お見舞い申し上げます”、と。同じものをみなさんにもお届けします。

Global Warmingな地球の夏には、世界的に「暑中見舞い」が風習になるかもしれませんね。

リンダとTsunamiと上をむいて歩こう

2009年秋から東京のアメリカ大使館で仕事をしていたリンダが任期を終えて帰国するというので、先週末に送別会があった。
リンダは国務省:State Departmentの職員、身分は外交官。年齢を聞いたことはないけど多分”アラフォー”。ノリのいい気さくな女性だ。2年前、日本に赴任する直前に日本語の練習パートナーを務めて仲良しになった。

リンダの他にも国務省には何人も友人が出来たが、誰も個性的で面白い人ばかり。聞くと、なるべく多彩な人材を集めるという省の方針があって、他の分野で経験を積んだ人材を集めている。以前はメガバンクのディーラーだったとか、コンピュータのシステムエンジニアだったとか、教師だったとか経歴はさまざま。リンダはもとUnited Airlinesのフライトアテンダント。成田勤務の経験があって、初めて会ったときにすでに日本語はかなり堪能だった。

海外に派遣する職員は、任地の言葉を半年から1年間しっかり勉強して、最終試験に受からないと派遣しないというのが国務省の方針。私はリンダの最終試験の準備を手伝ったというわけ。試験は、その場で日本の政治・社会・経済などからテーマが出されて、準備時間5分の後、日本語で5分間、起承転結のあるスピーチをするなど、3つの課題を半日でこなす。かなりハードルの高い試験だった。もちろんリンダはすんなり合格して、2009年夏に東京へ赴任していった。

そのリンダが任期を終えて、もう帰国になる。Time flies...

リンダの送別会は、夜8時から六本木のカラオケ店でスタート。参加者30人くらい。私と同様ワシントンにいるときに知り合った別の友人と、あと大使館員の奥様という3人を除くと、あとは全員アメリカ人。リンダの同僚の大使館職員だ。平均年齢30代から40代。アメリカ人のカラオケ大会、ちょっと興味津々で参加した。

夜8時過ぎ、参加者が8割方そろった頃合いに、いきなり主役のリンダ本人による「マイケル・ジャクソン・メドレー」でカラオケパーティがスタート。のっけからノリノリだ。男女比だと男性6割超の感じの参加者が、次々ノリのいい曲を歌っていく。ロックあり、カントリーあり、ボンジョビあり、マドンナあり、シャキーラあり、ビートルズあり、ローリング・ストーンズあり。もちろん基本的に英語の曲。iPhoneなどスマートフォンの画面をライトにしてペンライトみたいに腕をふったり、ノリのいい合いの手を入れたり。みんなカラオケ大好きで盛り上がるのよ、とは聞いていたけど、ホントだ。

1時間くらいたった頃、日系人の大使館スタッフが入れたらしいブルーハーツの「リンダ リンダ」が始まる。サビのところはひたすら「リンダ、リンダ」なので、全員で大合唱。日本にはリンダにぴったりの曲があったんだ! 

この辺までカラオケには参加してなかった私、「そういえば、日本にはもう1曲、『リンダ』あったよね」とふと思いついて、アン・ルイスの「リンダ」を選曲。歌詞を覚えていたわけでなく、タイトルの「リンダ」と後半が英語だったよなと思って選んだのだけど、竹内まりやが親友アン・ルイスの結婚祝いに送った曲は、なんと最後に:
Before you walk away, just remember I will always be your friend.
と、送別にはぴったりの歌詞がついていた。ラッキー!

Good Job! と周囲から声がかかって、カラオケ苦手な私も無事に役割を果たした気になっていたとき、誰が選んだのか『上を向いて歩こう』が始まった。意外にも、全員が日本語の歌詞で大合唱になった。さすがに東京勤務のアメリカ大使館職員、「上を向いて歩こう」くらいは歌えるらしい。というか、震災後の日本の応援歌になっている曲だから、ということだったらしい。

このあとで、アジア系アメリカ人の男性が私のところへやってきて「ケイスケ・クワタのTsunamiが好きで歌いたいんだけど、気を悪くしませんか?」と聞かれた。

なるほど... あの震災以来、Tsunamiは御法度な曲になっているのか? 「いや、もちろん気にしませんよ。全然別の意味で使っているわけだし。でも気にしてくれてありがとう」みたいな会話があって、彼はTsunamiを入力したんだけど、15曲も先の予約になっていた。同行した友人が早めに帰るというので私は一緒に席を立ってしまい、その後のTsunamiがどうなったか、いつまであのノリノリのカラオケが続いて、最後はどんな風に盛り上がって終わったのか見届けることができなかった。ちょっと残念。

残念と言えば、カラオケパーティでは、ほとんど話ができない。派手に騒ぎまくっていたアメリカ大使館職員のみなさん、震災直後のメールのやりとりでは救援隊の後方支援などでめちゃくちゃ忙しく、1日16時間勤務だ!などと聞いていたので、少し話を聞きたいと思っていた。でも、大音響のカラオケでは、とても話などできなかった。またの機会に。

リンダはこのあと、しばらくワシントン勤務。その後はどこに行くか、まだ分からない。日本の前にはインドにいた。彼らは、難しい国(発展途上国とか反米感情が強い国とか)の勤務を終えると働きやすい国(主に先進国)を選べる、というローテーションで働いている。日本は「働きやすい国」に分類されているそうだ。次はまたどこか、ちょっと「難しい国」に行くことになるのだろう。地球のどこかで、また会えますように。

Grilling in America アメリカのグリル事情

Mac5102011-05-05

ご無沙汰しました。ゴールデンウィーク、いかがお過ごしですか。私は世間の風潮に合わせて(?)あまり遠出もせず、安近短な日々。昨日は義兄一家のバーベキューパーティに呼ばれて、美味なグリルランチをたらふく。ごちそうさまでした!!

そこで思い出したのが、アメリカの”グリル事情”。
アメリカで戸建てに住んでいたら、必ずと言っていいくらい庭にバーベキューグリルがおいてある。たいていガスが使えるグリルになっていて、日常的にホットドックのソーセージでも、ハンバーガー用のパティ(ハンバーグ)でも、ステーキもチキンも「肉を焼く」には、この庭先のグリルを使うのが普通。肉焼き係はご主人の仕事と決まっている。

ヴァージニア州アーリントンで住んでいたアパートは、ベランダが狭かったのでグリル禁止でしたが、代わりにアパート付属のプールの脇に、共同で使えるグリルが設置してあった。ときどき生肉を皿に乗せてエレベーターに乗ってくるおじさんと一緒になったりした。「肉を焼く」にはプールサイドのグリルに行くのが自然なことのようだった。私はキッチンでフライパンで焼いていたけどね。

通りを挟んだ向かいのアパートはベランダが広くて、グリルを設置してある家がけっこう見えた。日曜日のランチタイムにソーセージを焼いてホットドックを作っているファミリーとか、微笑ましい光景だった。そのアパートに住んでいて友人になったイベットは、妊娠して戸建ての家に引っ越していくときに、ご主人がまず最初にしたことが、庭におくグリル選びに没頭することだったとか。アメリカの男性は、たいていそうよ、とイベットは笑っていた。

日系アメリカ人のLeeのご主人はイギリス人。グリル習慣がなかった彼のために、誕生日のサプライズギフトに娘たちと一緒にグリルを贈った。最初は自信がなくてソーセージくらいしか焼けなかったご主人が、しばらくするうちに、ご近所を呼んでグリルパーティーができるまでに自信をつけたと喜んでいた。アメリカで暮らしていくのに「グリルで上手に肉の焼ける主人であること」は重要なんだろうな、と思った。

ニュージーランドから来ていたセリーナの家にディナーに呼ばれたときも、ご主人のボブが庭先で上手に焼きあげたラムがメインディッシュだった。こうしたパーティの時、奥様が用意するのは前菜と付け合わせとデザート。メインの肉を焼いてゲストの皿に配るのはご主人の仕事だ。

アメリカで最も人気のスポーツ、アメリカンフットボールの試合会場は、たいてい広大な駐車場を併設していて、試合の始まる前日や当日早朝から観戦する人たちが集まって、携帯グリルを設置してバーベキューパーティで盛り上がる。これを”テールゲート(tailgate)する”と言うのだけれど、試合を見ないでtailgatingだけが目的の人もたくさんいるそうです。tailgateはピックアップトラックやワンボックス車など後部が開いて座れるようになっている部分のこと。

アメリカのホームセンター大手のHome Depotのサイトには”Buying the perfect grill”ガイドというページがあって、グリルについて懇切丁寧な説明が映像で見られるようになっていた。アメリカのグリル事情、ちょっと覗いてみてください。
http://ext.homedepot.com/video/?bcpid=207606409001&bctid=774878019001

Have a great golden weekend!

After 311

Mac5102011-03-26

みなさん 3月11日以後、お元気でしょうか。
節電の呼びかけが効いているせいか、twitterの情報発信は多いけど、一般のメールニュースやブログの更新はすごく減っています。何に対しても”自粛”の気分が蔓延しちゃってる感じ。かくいう私もその一人でしたが、ま、気を取り直して少し日常に戻ろうとブログ更新を試みます。

地震以来、停電の影響などで自宅待機など時間ができちゃった人と、逆に忙しくなっちゃった人がいると思いますが、私は忙しくなっちゃった派。今年初めに仕事に復帰して以来、嘱託契約だし、そんなに仕事があったわけでもないので週3日程度しか会社に行かない気ままなオフィス生活だったのが、地震を境に、ほぼ毎日出勤してます。

会社に被害は一切なく、直接的に地震の影響で仕事が増えてるわけでもないですが、危機管理ルールの見直しだの、対外的なメールニュースとかホームページの更新とか、雑多なテーマのプロジェクトに加わって下さいと、急に予定が毎日埋まってしまった。毎日オフィスに顔を出すだけでみんなが安心するのでいてください、とも言われてます。「年の功」ってやつですね。実際、会社に行って無駄話をしているだけみたいな感じですが、ちょっとした相談が次々に舞い込みます。そんなわけで、私なりに「今できること」やってる感じです。

海外の友人からは、ほとんど音信不通状態だった人も含めて、本当にたくさんメールが舞い込みます。たいていの人が地震直後と、原発事故が深刻になっているとニュースが流れた後と、最低2回はメールをもらった。今朝も3通届いていた。facebookでつながっている人はfacebookの書き込みで済ませているけれど、メールをいただいた人は個々に返信をしているので、まあこの2週間、かなりの量の英語のメールを書いた。日本語で書くようには早く返信できないから、時間とられますけど。

東京のアメリカ大使館にワシントンで知り合った友人が数人きています。アメリカが在日アメリカ人に自主避難を呼びかけているのは事実ですが、大使館勤務の彼らは1日16時間も働いているそうです。アメリカからは機材も物資も人材も、ものすごい量の支援が届いていて、その対応で大使館の仕事量は半端でないらしい。志願して東京にやってきた臨時の大使館員も90人以上いるとのこと。まあ、アメリカは在日米軍の存在意義を示すまたとないチャンスでもあるしね。ルース駐日大使のtwitterが面白い。日本語と英語と両方のtweetが入るので勉強にもなるかな。AmbassadorRossで検索してみてください。

今朝、BSを見ていたら、ワシントンのポトマック河畔の桜祭りが開幕したとニュースが流れた。アメリカにいる間は毎年何度も通ったワシントンの桜祭り。映像を見ていたら、なんだかホームシックみたいな気分になっちゃった。東京はどこもかしこも桜祭りは中止だし、だいたい、まだ咲いてないし。花見の宴会は中止でいいけど、桜並木を散策するお花見、早くやりたいですね。気分が晴れるよね、きっと。

捨てられないもの

みなさん、古いレコードってどうしてます?

年初から始まった、アメリカからの引越荷物と無理矢理押し込んだ東京の住まいの荷物整理プロジェクトも、終盤にさしかかっています。ついに20年来の懸案だったレコードコレクションに手を着けることになりました。

主人と私がそれぞれに若い頃に集めて持ち寄った我が家のレコードコレクション数百枚。物置部屋の一角の相当な容積を占めていたのを、保存するなら空調の効いたトランクルームに移動しようと、整理を始めました。

中学時代から買い集めたアルバムは、Beatlesなどリバプールサウンズから始まって、同じものをCDで買い直したアルバムもたくさんあるのに、どうしても捨てられない。いまやアルバム1枚分、十数曲を1分足らずのダウンロードで、ちょっと豪華なランチくらいの値段で手に入れられる時代だけど、はじめて「好きな音楽を自分で所有したい」と思うようになった中学時代、アルバム1枚は1か月のおこづかいに相当する。選びに選んで、何度もレコード屋に足を運んで、どのラックにどのレコードがあるか、そこのレコード屋の品揃えがそらで言えるくらいに通い詰めて、ようやく1枚。おこづかいをはたいて手に入れる。

数え切れないくらい聞き直したレコードは、いまや雑音だらけで聞くに値しない音質になっていることは分かっている。でも一枚一枚手にとってみると少しシミの出てしまったジャケットやライナーノーツの紙も含めて、自分にとっての「価値」が大きくて捨てる気になれない。

同じアルバムのレコードとCD(両方もっているものもたくさんある)を並べてみて、CDにはほとんど思い入れがないのに、レコードはその質感とか空気感とか1枚1枚がみんな違っていて自己主張している。

人気者のレコードなら、そのジャケットは、当時の人気フォトグラファーの撮った写真を気鋭のグラフィックデザイナーがデザインし、最高の印刷技術で仕上げられたアート作品ばかり。12センチ角のCDジャケットではたいしたことないものが、32センチ角のレコードジャケットで見ると迫力が違う。名盤のレコードジャケットを集めた画集などもあるが、つるつるの光沢紙に印刷された画集と、光沢を押さえたマット系の紙に印刷されたものの多いジャケットは、比べてみると画集ではその質感は再現されていない。広い壁面をもつ家に住めるのだったら、毎日日替わりで飾ってみたいものも多い。

結局、アルバム名、アーティスト名、レコード番号などをデータベースに入力して、レコードラックごと空調の効いたトランクルームに運んで保存することになった。多分、針を落として音を聞くことはもうないだろう。でも、1960年代から1980年代始めまでのグラフィックアートコレクションを数百枚持っていると思えばいいじゃないかと。捨てられない理由をそう言い聞かせて、結局1枚のレコードも片付けることなく、場所が移動しただけで終わりました。

でも、レコードに思い入れがあって処置に困ることって、もっと若い世代ではないんだろうな…