Facebook とSuperman 映画の話です

先週末に立て続けに2本、映画を見た。こちらの映画館は、いわゆるシネマコンプレックス。ひとつの建物に10くらいの劇場が入っていて、話題の映画は2つの劇場を使って1時間おきくらいに始まるほど。

二つ見たうちのひとつは話題の映画。Facebook創始者マーク・ザッカーバーグの物語「Social Network」。ハーバード在学中のコンピュータ天才学生が、ガールフレンドに振られた腹いせに作った女子学生を選別していくゲームサイトが大成功したのをきっかけに、ソーシャルネットワークのアイデアを得て、それを形にして成功していく。その過程で、アイデアを盗まれたと同じハーバードの学生から訴訟を起こされ、やがてパートナーとしてFacebookの立ち上げに資金面で協力した親友からも訴えられる。映画の半分は訴訟の調停場面で、お金にも名声にも興味がなく、ひとりだけ思考回路の違うマークと、周囲の法律専門家や原告たちとの噛み合わないやりとりが面白く、その間に、Facebook立ち上げとブームに乗って成功していくストーリーが挿入されていく。日本でも来年1月に上映されるようです。こういう世界に興味があれば、面白いと思います。

もうひとつは、ドキュメンタリーで「Waiting for Superman」というアメリカの公共教育の問題点をあぶり出した映画。アメリカのパブリックスクールはひどいとは聞いていたが、ここまで深刻な問題なのかとあらためて知らされる。

アメリカの子供たちは先進国30カ国のうちで数学の成績25位、理科21位。ひとつだけアメリカがダントツ1位があって、それは「自信がある」という項目。高校の卒業率は3割を切り、先進28カ国中20位(1位ドイツ、日本は4位)。年間120万人が学校をドロップアウト。公立高校はドロップアウト・ファクトリーと呼ばれるようになっていく。高校を卒業していない人の犯罪率は、卒業している人の8倍。新規採用の9割以上が高卒以上の学歴を求めるので、事実上仕事に就けないのと同じ。

こうした教育現場の荒廃の要因を、この映画の監督は「教師の質」に落とし込む。アメリカの教育機関にはTenure:終身在職権という制度があり、大学ではTenureを得ることの難しさから、よくミステリーの題材になったりしている。ところが公立学校では教師のTenureはほぼ自動的に(確か2年だか3年勤務するだけで)得られるという。(過去の歴史に、校長が気に入らない教師を簡単に解雇したりする事件が頻発して、こういう制度になってしまったらしい)

Tenureを得た教師は、別に頑張らなくても給与が保障されるので、十年一日の内容を教室で教えるようになる。生徒に「自習」と言い渡して自分は新聞や雑誌を読んで時間だけつぶす教師を密かに撮影した映像も挿入され、ごく一部であろうが質の悪い教師を解雇できないシステムの現状を、映画は見せてくれる。

逆に頑張って生徒たちの成績を上げたり問題に取り組んで成果を上げても、そういう優秀な教師に特別の待遇を与えることができない仕組みなのだという。さらに全米教員組合の力も強く、政治が組合を的に回せない構図も出来ている。そんなこんなで、アメリカでは医師の57人に1人が医師免許を失い、97人に1人の弁護士が弁護士資格を剥奪されているのに、教員免許を失う教員は、250人に1人ほどだという。

アメリカの首都ワシントンDCは、数年前に全米の統一試験の結果、基礎学力が最も低い地域という不名誉な記録を作っている。4年前に就任した黒人のフェンティ市長は、教育改革のためにミシェル・リーという女性の教育長を任命する。彼女の大胆な改革は、全米の教育改革の象徴のような存在。この映画でも彼女の改革は大きく扱われる。まず、質の悪い学校をバッサリ閉校にし、大量の教員を解雇する。さらに大胆な提案で世間をあっと言わせる。Tenureを持ってこれまでどおりの教職を続けるなら給与は上がらないが、 Tenureを放棄すれば、つまり、成果を評価されることに同意すれば、給与をほぼ倍増させる、というもの。やる気があって成果を出せる教師を正当に扱おうという試みだったが、これは組合の強烈な反対にあって、採用するかどうかの議決にさえ持ち込めなかった。

じゃ解決策はないのかというと、成功している取り組みもある。チャータースクールという制度で、地域の教員や親などが一定の目的(数学に特化するとか)でチャーター(認可)を得て規制の枠組みにとらわれない学校を開設できる仕組み。一部で成果を上げている。私の家の近くにある「サイエンス・フォーカス・スクール」もチャーター校のひとつだ。

親が金持ちなら私立のよい学校を選んで行くことができる。あるいは親に時間と学力があればホームスクールという制度で、親の指導のもとで家で勉強して充分な学力のあることを試験で照明すれば卒業証書が得られる。問題は、貧しくて両親とも働いているか片親だとか、私立にも通えない、ホームスクールも無理な平均以下の子供たち。彼らはパブリックスクールに行くしかないが、住んでいる地域のパブリックスクールの質が悪かったら、残る選択肢は、その地域の質のいいチャータースクールしかない。

「Waiting for Superman」はチャータースクールに入学申込をした5〜6人の子供たちの事情を追いながらアメリカの教育現場の現状をデータと映像で伝えていく。子供たちが待っている「Superman」とは、チャータースクールへの入学許可のこと。質の高いチャータースクールは10倍20倍の倍率で、生徒をくじ引きで選ぶ。

映画は最後に「子供たちの将来をくじ引きに託すのではなくて、すべての子供がよい教師に恵まれて質の高い教育を受けられるように行動を起こしてください」というメッセージで締めくくられる。

チャータースクールで成功しているのは5校に1校と言われるし、普通のパブリックスクールの全てが質が悪いわけではない。教師たちのほとんどは熱心で、最近の自治体の予算縮小のあおりをうけて、自費で教材を用意している先生たちが7〜8割に達するというデータも。この映画は、チャータースクールの良い面だけを取り上げ、全米教員組合を悪者に描きすぎている嫌いはあるのだが、ドキュメンタリーとしてはとても良くできていて本当に面白かった。日本で公開される予定はまずないと思いますが、予告編映像はこちらで見られます。
http://www.waitingforsuperman.com/trailer

この中で”We’re gonna change the face of public education in this country”と語っているのがDCの教育長ミシェル・リーですが、実は市長のフェンティ氏が次期市長候補から外れてしまったので、リー教育長もつい先週、辞任を発表しました。DCの子供たちの学力は着実に向上していたのに、残念です。