危機管理が政治家の生死を分ける?

先日、久しぶりにニュースの博物館Newseumへ行ってみた。美術館・博物館は無料が常識のワシントンDCで、大人の入場料が20ドルもする博物館なのだが、私は年間パス(確か70ドル)を持っているので、気軽に行ける。毎日、その日の全米各州および世界各地の新聞の1面が並べられ、それを見るだけでもけっこう楽しい。

しばらくぶりに行ったら、2005年にニューオリンズなど南部の町を壊滅させたハリケーンカトリーナのニュース報道の特別展をやっていた。あらためてカトリーナ被害のすごさを知ったのだが、そこで興味深い光景に出会った。

展示の一角で、当時のニュース映像と現場の様子を伝えた各局のキャスターやレポーターの証言を編集した「メディアはどうカトリーナを伝えたか」というかなり見応えのある映像を流していた。

大雨と強風で町がほぼ水没し、逃げ場を失った人たちが屋根に上って助けを求める映像、クルマなど移動手段のある人たちは避難していったが、クルマを持たない移動手段のない人たちーーほとんどが貧しい黒人層ーー何万ものそういう人たちが避難場所としてフットボール場に押し寄せている映像。

それはそれは迫力ある映像で、それに現場をレポートしたキャスターたちの生々しい証言が重なる。「何万もの人が避難しているけれど、水も食料もなく、何の救援も来ていない」「政府の各省庁の役人たちが出来るだけの救援や対策をしていると互いに誉め合っているけど、それはいったい、どこに来ているんだ? ここには誰もいないじゃないか!」

そんな映像を見ながら涙ぐむ人も。モニターの前に、最初は数人しかいなかった観客が気がつくと15人くらいまで膨らんで人だかりになっていた。と、そこで画面が変わって、当時のブッシュ大統領の記者会見の映像が映し出された。政府は救援に全力を挙げている、というコメントだったと思うが、驚いたのは、画面に見入っていた15人ほどの人たちのほとんどが、ブッシュの姿を見た途端に、口の中でなにかつぶやいて、去っていってしまったのだ。残ったのは、私ともう一人の女性だけ。

映像はその後もしばらく続き、ようやく始まる救援の様子や、それも全く足りずに困窮する人たちを映し出す。再びモニターの前で足を止めて映像を見る人たちが増え始める。7〜8人が集まっていただろうか。ここで、現場を視察に訪れたブッシュの映像が再び挿入される。すると、またすっと波が引くように、今度は本当に、私を残して、誰もいなくなってしまった...

この件に関して本当にブッシュは嫌われているようだ。1度だけなら偶然だが、2度続くと平均的アメリカ人の心象風景を映したものだと思わざるを得ない。

ハリケーンカトリーナはもちろん天災だが、犠牲者が数千人規模に達したのは政府の対応が後手に回った人災だとされている。救援が来なかったために犠牲になった人の多くが、クルマを持たない貧困層やお年寄りと、老人ホームの老人たちや刑務所に収監されたままの囚人たちなど、自分では動けなかった人たちだとか。行政は本来、そういう人たちを率先して避難させる責任があるはずだが、それが行われなかった。救援のバスがくるから自ら動かないようにと伝えられた地域に、結局バスは1台もこなかった、とか。

世界一豊かな国アメリカで、たかがハリケーンから人々を救えない。IS THIS AMERICA?という当時の新聞の大見出しが、信じがたい惨状に苛立つ人々の気分を伝える。各メディアは災害のまっただ中に看板キャスターを競って投入して、現場の生々しい映像を全米に送った。そんなニュースを数日間見続けたせいで、アメリカ人の中に、あの時ブッシュは弱者を見殺しにしたという認識が広まっている。すでに5年もたってブッシュが過去の人になっても、あの時の彼の姿は見たくもないとモニターの前から一斉に立ち去っていく人々の姿が、その嫌悪感の根深さを知らせてくれる。

一方、チリでは「奇跡の全員生還」に、世界中のメディアの前で、24時間現場に立ち続けて33人を出迎えた大統領がすっかり世界の人気者だ。政治家にとって、こうした災害時の危機管理は、本当に「生死を分ける」。いや、政治家の本当の実力が出るのが、こうした危機に直面した時だということなのかな。

Newseumでの思いがけない光景と、今回のチリの炭坑作業員たちの生還劇を重ね合わせて、そんなこと思いました。