東京へ引っ越し!

Mac5102010-12-08

いやあ、ご無沙汰しました。なんと、東京に帰ってきてしまいました!

引っ越しのどたばたで最低限のメールチェックと仕事以外は机に向かう時間がとれずにいた数週間。アメリカの生活を引き払って日本に帰ってくる体験を記録しておきたいと思いつつ、果たせなかったのですが、記憶を頼りに再現してみようと思います。

もともと5年以上滞在する見込みで始まったアメリカ生活。経済情勢その他の事情で主人の会社がワシントンオフィスを閉じる決定をしたので、3年足らずで帰国することになった。後任がいないということは、持っている家財道具をすべて処分するか、日本に持ち帰るかしかない。いつのまにやら雑多にものが増えに増えた生活用品。11月初旬から、日本に持ち帰らない家財道具の行き先を探すことが私の仕事になった。

アメリカのアパートは、冷蔵庫、ガスオーブン、電子レンジ、食洗機、洗濯機、乾燥機などの大きな家電品はアパートに備え付けなので、これらの処分は考えなくていい。日本国内の引っ越しだと、こうしたものも運ぶので、冷蔵庫や洗濯機は数日前から乾かしておくなど準備が必要だけど、その必要はなく、引っ越し最終日まで洗濯ができたり、冷たい飲物が飲めたのは快適だった。

大型家電はいいにしても、電圧の関係で日本に持ち帰らない電気製品はたくさんある。我が家で一番上等な家電製品はダイソンの掃除機。これは持ち帰っても良かったんだけど、アメリカでは圧倒的に小さく思えたので使っていた掃除機も、日本で使うには大きすぎる気がして使ってくれる人を探すことにした。他には、炊飯器、フードプロセッサーハンドミキサー、加湿器、フロアスタンド、デスクランプ、傘立て、本箱、コーヒーテーブルなどなどが捨てるに忍びない家財道具。さらに食器類や小物類、はたまた日本から持ち込んだり家族・友人から届いた日本の食材... 生活を整理しようとすると不要になるものは山のようにあった。

使ってくれる人を探すためにリストを作った。不要品をすべて写真にとって名前やメーカー、サイズなど情報を加えたデータベースにして出力。人に会うたびに渡していた。写真入りのリストは「とってもプロフェッショナル!」と大好評だった。

幸い、私にはアメリカ人の友人も、アメリカに永住するつもりで来ている韓国・中国などアジアの友人も多く(日本人で永住目的でやってくる人はまずいない)、ダイソンの掃除機は昨年新居を購入したばかりのイベットがいち早く手を挙げ、フードプロセッサーや炊飯器は中国からきたウエイに渡り、傘立ては私の送別会を盛大に開いてくれたAnnaの玄関先に収まった。他にも全部で十数人の友人が何かしらを引き取ってくれた。処分に困っているものは全部引き受けて何とかしてあげる、と言ってくれたご近所のスンミは韓国から来ている友人。最後に残った多くの細々したものをスンミが引き受けてくれて、本当に助かった。

日本には粘着テープがローラーになった掃除道具がありますよね、あれはアメリカにはなくて、でも絨毯フロアの住まいに使いたくて日本から持ち込んでいたのですが、リフィルも大量に余っていたので、スンミに引き取ってもらった。後で聞くと、それが彼女の一番のお気に入りで「もうあれのない生活は考えられない!」と言っている。ときどきリフィルを送ってあげないと...

11月最終の木曜日、アメリカ中が日本の元旦みたいに休んでしまうThanksgivingの連休は、ひたすら引っ越し準備。船便で送る荷物と航空便で送るもの、スーツケースに入れて持ち帰るものを区分けしなければならない。ダイニングテーブル、椅子、けっこう奮発して買った組立式の書棚などは持ち帰ることにして、膨大なファイル類、書籍、衣類、食器や台所用品など、ほとんどのものは船便で送る。到着まで2ヶ月。その間に東京の家を整理しなければ。航空便は10日くらいで届くので、お土産品と早急に必要な書類など。スーツケースには帰って即必要な書類やPC関連機器と衣類。

航空便と船便で送る荷物には制限があって、危険物と動植物製品が不可。そのなかに、麦わら製品が入るのだそうで、夏にナッシュビルで買ったウエスタン風のストローハットは引き受けてもらえないという。散歩しながら集めたどんぐりや松ぼっくりもNG。どんぐり&松ぼっくりは捨てることにして、ストローハットだけは気に入っているので、かぶって帰ることにする(手荷物品で持ち帰る分にはOKなんだそうだ)。冬物コートにストローハットはちょっと不釣り合いだけど。

ちなみにアメリ東海岸のワシントンから日本まで、船便はどんなルートを通るんだろうと思って日通に聞いてみました。すると、陸路でニューヨークへ運んで、ニューヨークから船に乗って大西洋を南下、メキシコ湾に入ってパナマ運河を抜けて太平洋へ、太平洋の大海原を渡って日本に届くのだそうだーーちょっと荷物と一緒に旅してみたいルートですね。パナマ運河を抜け熱帯を通っていくので夏場はチョコレートは引き受けられないそうです。

Thanksgivingの連休が終わった11月29日と30日、朝から日通のスタッフが来て、荷物をどんどんパックしていく。番号の貼られた段ボールごとに内容物の明細を作成して保険金額を書いていくのが依頼主の私たちの仕事。二日がかりで荷物を送り出し、最後に残った捨ててしまう家具類(前任の人たちから代々引き継がれた古い本棚やベッドなど)をアパートのゴミ捨て場まで運んでもらって、引っ越し終了。大きなゴミも簡単に捨てられるのでアパート暮らしは便利だった。

最後に残った細かいゴミをダストシュートに放り込み、空っぽになったアパートをあとに歩いて5分ほどのホテルにチェックイン。残り2日、ホテル暮らしをしながら最後に残った事務手続きを済ます。翌12月1日は朝から暴風雨。傘もさせないほどの雨風の中を郵便局とアーリントン郡の役所へ。天候のせいかもしれないが、役所はすいていて、とても親切。前日に売ったクルマの登録抹消など事務手続きは短時間で終了。

予想外に早く片付いてしまったので、地下鉄に乗ってワシントンDC中心部に出る。最終日の数時間、風雨はおさまったが気温が下がった冬枯れのDCを散策。明日はいよいよ、日本に向けて帰国する。意外にあっけなく幕切れになってしまったアメリカ生活。でも、友人はたくさん出来たし、情報源も確保してあるし、友人たちから届くアメリカ便りをもとに、これからもレポートは続けていくつもり。

次回は、帰国後、3年近くうっちゃっておいた家で暮らし始めるどたばたをレポートします。