国民皆保険は社会主義?

アメリカの医療保険改革は、クリントン政権時代にヒラリー・クリントンが取り組んで失敗したことが有名ですが、もう長いこと、どの政権も何らかの改革を試みて、果たせなかった。アメリカ以外の国で医療保険を使っている人には、あれだけ問題の多い制度の改革に、どうして反対する人が多いのか、理解に苦しむと思う。

オバマの改革案には最初の頃「Public Option」と呼ばれる制度が盛り込まれていた。民間の保険会社が運営する保険と並列で、政府が安価で誰でも入れる医療保険を導入するというプランだった。他の先進国と同様のユニバーサルヘルスケアへ段階的に移行する足がかりとしては良い考えだと私は思っていたが、猛反発を食らって、結局Public Optionは法案から外された。

反対の理由を総括するとこういうことだ。「国が運営する保険に強制的に加入されられるのは『自由を保障したアメリカ建国の精神』に反する」 

そう、アメリカで何より重要なことは、自由が保障されること。

オバマの進めるPublic Optionを認めたら、自由の国アメリカが「社会主義国」になってしまう!!!というわけ。「ユニバーサルヘルスケアをやっているカナダやオーストラリアの、いったいどこが社会主義なんだ!」とPublic Option推進派は防戦したが、自分の生活を政府に牛耳られるのは我慢ならないという声が勝った。

アメリカ人を脅すのに「社会主義」という言葉ほど効果的なものはないらしい。いまだに冷戦時代の「東の脅威」が染みついているのか「社会主義」は『悪』だとされる。だいたい、ヨーロッパの国々を「社会主義国」だと思っているアメリカ人は相当数いるんじゃないかな。Public Optionの議論の中で「そんなことをしたら、アメリカがスウェーデンみたいな社会主義国になってしまう」と真顔で言った共和党の議員さんがいたけれど、アメリカ人から見えているヨーロッパは、そういうところなんだ、とその時思った。

オバマ政権に反対する共和党が、反オバマキャンペーンに「オバマのすることは社会主義」というレッテルを貼って国民の支持を切り崩そうと故意に「社会主義の脅威」を強調していることは確かだけど、これは、かなり効果を上げていると思う。

医療保険改革の議論の最中に行われたいくつかの州知事選や、故エドワード・ケネディ議員が亡くなって空席になった上院の補欠選挙で、立て続けに民主党は敗れ、共和党が勝った。共和党の副大統領候補だったサラ・ペイリンアラスカ州知事などゴリゴリの保守派のコメンテーターの人気が高まっている。「医療保険改革の成立は、アメリカで最も大切なもの、”自由”を殺してしまった」など過激な言葉で政権批判はまだまだ盛んだ。

CNNの調査で、国民の59%が医療保険改革法案に反対している、という数字の裏には、こうした背景がある。アメリカは10月に議会の中間選挙がある。現在は上院下院とも民主党過半数を持っているが、次の選挙で民主党は大苦戦するだろう。

しかし、冷静にものごとを見ているアメリカ人は大勢いて、法案に反対している59%のうちの三分の一は、改革そのものには反対ではなくて「法案の中身が中途半端。もっと抜本的な改革が必要だ、だから反対する」という立場の人たちだそうだ。

国民皆保険を強制するのは、自由の侵害にあたる。政府が介入すべきでない」という人々と、「誰もが平等に医療を受けられるように改革を推し進めるべきだ」という人と、世論は真っ二つ。アメリカ人が何より大切に思っている「自由」と「平等」の解釈のはざまで、本当の意味の医療保険改革の実現には、まだまだ多難な道のりがありそうだ。

それにしても「政府主導」を「自由の侵害」と受け取って反発するアメリカ人気質が、アメリカを動かす大きなメカニズムのひとつなのだと、医療保険改革の推移を見ながら、あらためて思い知った気がする。私自身も、インテリでリベラルだと思っていた人たちから、政府が運営する医療保険なんて信用できないと言われて、二の句が継げなかった経験が数回ある。

海外勤務の経験もある30代後半の政府職員。アメリカの巨大銀行破綻のことを話しているときのこと。アメリカの銀行はもともとは州や町に根ざした地方銀行だったが(今も大半はそうです)、Bank of AmericaとかCityとか巨大銀行を作ったために大きくなりすぎて破綻した。医療保険もそうだ。政府主導で全米規模の医療保険組織を作っても、巨大銀行と同じ道を歩くだけだーー彼は大まじめにそういってオバマ医療保険改革に疑問を投げかけた。

先日、JALの破綻のことを聞かれたので説明した50代の男性。彼はアーティスト&教師をしている。JALはもともと国営に近い企業で「親方日の丸」という言葉が日本にはあるのだけど...みたいな説明をしていたら、「アメリカの医療保険改革もそうだよね。政府が運営する医療保険がうまくいくはずがない。民間に任せておけばいいんだ」と。

どちらのときも「そうか、そう思うんだ」と一瞬たじろいだ。自由経済のなかで競争の原理が働き、利用者が自分の好みで「選択する権利」が保障されることが「アメリカ的」で理想ーー生活のほとんどのシーンで、それは、私も賛成だが、医療保険はどうだろう。人は自ら選んで病気になるわけでないのに...