テッド・ケネディと医療保険改革

※久しぶりに今日のは長いです

■テッド・ケネディ逝く■

エドワード(テッド)ケネディ上院議員が亡くなった。兄ふたりを暗殺で亡くしたケネディ家の末弟は、公民権運動や移民政策に取り組んだリベラル派の民主党議員で、昨年のオバマ大統領誕生には大きな役割を果たした。
議会の長老として、民主党のまとめ役、その発言は共和党からも一目おかれる存在で、テッドの愛称で呼ばれ温厚な人柄で愛された。晩年はケネディ家という特殊なファミリーの一員というより、みんなの”おじさん”みたいな存在だったと思う。

現在、全米で論議を呼んでいるオバマ政権のHealthcare Reform法案は、その骨格を作ったのはテッド・ケネディだったとか。医療保険改革までalmost there(あと一歩)と待ちこがれていたが、改革の実現を見ることは出来なかった。

昨年の大統領選挙のさなかに脳腫瘍の手術を受けながら、数週間で政治の舞台に復帰し、厳寒の大統領就任式に立ち会ったが、その後の昼食会の席で倒れて救急車で病院に運ばれて病状が良くないことは周知の事実だった。

志なかばで銃弾に倒れた兄二人の後を受けて政治の第一線で生きながらえた人生とは、どんなものだったのだろう。ニュースで見るテッド・ケネディはいつもにこやかに笑っていたけれど。

■苦戦するHealthcare Reform■

そのテッド・ケネディも大きな役割を果たしたHealthcare Reform法案は、オバマ大統領の公約の柱だが、予想以上に苦戦して全米各地のタウンホールミーティングで熱い議論が続いている。

アメリカの医療保険は、世界のほとんどの国が採用している一元化された医療保険ではない。民間の保険会社がそれぞれに保険を売っている。企業に勤めている人は、企業単位で保険会社と契約しているので自動的に保険がつくが、保険の中身は企業ごとに違う。自営業や失業者は、自分で保険を買わなくてはいけない。保険の種類というか質はさまざま。保険料が安いと医師にかかったときの自己負担額が高い。また保険に加入する以前に発症している病気は”Preexisting Condition”と呼ばれ、保険が効かない。

例えば、企業勤めで保険に入っていて、何らかの病気を発症して会社を首になる。失業して個人で保険に入ろうとすると、会社勤めをしていたときに発病した病気は”Preexisting Condition”なので保険は効かないという事態になる。直したい病気に保険が効かず、失業して仕事がなく..

それでも失業者は、昨年からの経済危機対策で失業保険でカバーされる部分があるので、まだいい。昨年・今年に大学を卒業し、この不景気で就職できない若者が大勢いるが、彼らは「失業者」ですらないから何の保証もない。 仕事の口もなく、 収入もなく、保険もない。こういう若者が全米に溢れている。そんなこんなで全米の人口の6人に1人が現在、無保険だ。

アメリカ人1人当たりの医療費(Healthcareにかかる費用)は、世界で最も高額、政府が負担している費用もダントツに高い。それなのに充分な医療が受けられない人が大勢いる。保険に加入していて医療が受けられていても年収の2割〜3割を医療費が占めるという。

そんな現実を何とかしようと、民主党が政権をとったときはこれまでもHealthcare Reformを何度も試みた。クリントン政権も熱心にやったが強引にやりすぎて議会の賛同が得られず頓挫した。今回のオバマ政権は国民の期待を背負い、過去の教訓も生かして慎重に、しかしスピーディーに改革に乗り出した。

オバマの改革案は、なるほどね、という部分も多い。アメリカ政府の金庫にお金が豊富にあれば、日本始め諸外国のように医療保険を政府が一元化して現在の制度をご破算にする選択肢もあったかもしれない。しかし、不況と複雑なシステムに肥大化した医療保険をすぐにご破算にすることはできないから「改革」である。これまで機能してきた部分は残して、現在の保険に満足している人はそのまま何も変えずに、現在の保険制度からこぼれてしまう人たちに新しい保険制度を供給する。

■打倒オバマに使われる”Death Panel”■

いつも問題になるのはその財源だが、改革案は現システムの無駄を徹底的になくし、国民の健康を向上させて医療費かかる総費用を削減しようという。

これまでの医療保険は、病気の予防や健康維持は保険の対象外、つまり病気になったら初めて保険が適用される仕組みだが、新しいシステムは予防・健康維持も積極的に取り込む。国民の3人に1人が肥満で糖尿尿や心臓病の多いアメリカ人には健康管理が徹底されれば国全体として医療費が大幅に削減されるはずだ。

地域ごとの取り組みで医療費の削減に成功している例から学んで、終末医療の方法を選べるようにする、という項目が改革案には入っている。確かニューハンプシャー州の例だったと思うが、終末期の医療を、病院でできる限りの延命措置を望むか、あるいは、最後は自宅にもどって家族と過ごす時間を持ちたいかなど、予め個人の希望を聞いて設計をする方式をとっているところでは、65歳以上の医療費が全米平均より3割程度少なく、それでいて住民の満足度は高いという調査結果が出ている。

この終末医療の選択制度に、反対陣営の共和党が噛みついた。というのも、オバマ政権になってすっかり影が薄くなっていた共和党は、この医療保険改革をつぶせればオバマを倒せると公言する長老議員たちもいるほど、打倒オバマの切り札として医療保険改革つぶしに躍起になっている。そしてこの終末医療選択を「オバマのやり方だと、高齢者の家に政府の役人が、どんな方法で死にたいですか、と聞きに来るのだ」という風評をばらまいた。
さらに、先日アラスカ州知事を辞任した元副大統領候補サラ・ペイリンは、この仕組みを「Death Panel」(死の委員会)と呼んで国民の不安を煽った。

今全米各地で毎日のように開かれているタウンホールミーティングで、お年寄りが「どんな方法で死にたいか聞きに来るというのは本当ですか」と大まじめに質問する場面がニュースで流れたりする。タウンホールミーティングのニュース映像を見ていると、改革賛成派と反対派が大声で怒鳴り合う場面も多くて、共和党の不安を煽る作戦は成功しているように見える。

■世界を知らないアメリカ人■

アメリカの医療保険がこのままでいいと思っている人は誰もいないだろうに、これでまた改革が頓挫してしまうのかと不安になるが、ホワイトハウスは医療改革に理解を求めるメールをホワイトハウスサイトに登録している有権者に送ったり、大統領自身がタウンミーティングで質問に答えたり、積極的に巻き返しをしている。
先日はCNNが、国民皆保険を実施している各国の平均寿命と医療保険の国民満足度を紹介したりもしていた(もちろんアメリカより平均寿命が長く保険満足度の高い国が多い)。

首都ワシントンで友達になるアメリカ人は、政府職員だったり、あるいは世界中から人が集まっているせいで世界の情勢に詳しい人が多い。彼らが口を揃えて残念がることのひとつが、アメリカ人は自分の国が世界のどこより進んでいると信じ込んでいるので、他国のことを知ろうとか、世界から何かを学ぼうとか、夢にも思わない人が多い、ということだ。

医療保険制度にしても、国民皆保険制度は社会主義国のやることだと思いこんでいる(思いこまされている)人が多いようだ。「そんなことをしたらアメリカが社会主義国になってしまう」というのが医療保険改革に反対する共和党派の人たちの脅し文句だ。

Twitterマニアで若者のオピニオンリーダー的存在でもある俳優のアシュトン・クッチャーが討論番組に出て言っていた。「いったい、イギリスの、オーストラリアの、カナダの、どこが社会主義国だと言うのか、ばかげた脅し文句で国民の不安をかき立てている」

医療保険改革に本気で取り組んでいる政権と、これをつぶしてオバマ政権を倒そうと政争の具に使っている共和党、「社会主義」と言われて腰が引けている世界を知らないアメリカ国民。かみ合わない議論の行く末は? この時期にテッド・ケネディが亡くなったのは、どんな作用を及ぼすのか。

日本では8月末に多分政権が変わることになるのだろうが、アメリカは9月に入ると議会が再開されて法案の審議が本格化する。日本もアメリカも、2009年の9月は、政治から目が離せないかもしれない。