たかがチップ、されどチップ

チップに関しての質問が届いたので、以下長くなりますが、チップ問題について。 チップの習慣のない日本人にとって、チップはいつも頭の痛い問題です。

こちらに来て最初の2008年に、研究開発機関で働くアリスンと知り合いになりました。彼女はちょうどその時、新しくアメリカに住むようになった外国人が生活に必要な情報を簡単に集められるコンテンツを開発しようとしていて、困っていることは何かとか、ずいぶん話をした。私は取材対象というか実験台というか、恰好の相手だったわけです。

で、私が何よりアリスンに言ったのが「チップのことが分からない」でした。最初、彼女は「チップは簡単よ、払えばいいのよ」くらいの感じでした(この感覚、何となく今ではわかります)。
それでも日本と韓国に1年ずつ住んだ経験がある彼女は「確かにチップのない生活はシンプルで良かったわね」とも。「日本じゃ高級なレストランはどこもサービスは抜群。それでチップがいらないんだから天国よね。ニューヨークの最高級日本食レストランには、日本風の徹底したサービスで、チップだけで年収8万ドル(≒800万円)稼ぐウエイターがいるって話よ」と教えてくれました。

2008年〜09年の不況でレストラン客が減り、チップが収入源のサービススタッフは生活が苦しくなっているとニュースが伝えていた。その反作用か、以前は料理の値段の15%程度が相場とされていたチップは、いまや15%では少なすぎると見なされ、18%が普通。相場は限りなく20%に近づいているという。

食事をする場所は、ファーストフードやカフェなどレジで注文して食事を受け取り、食べ終わったら自ら皿を戻すセルフサービスの、つまりチップのいらないところはいくらでもある。そういうところは値段も安い。評判のいい店は味もいい。一方、きっちりサービスのあるレストランを選んで食事をするということは、チップをはずむ覚悟をしておけ、ということだ。

こんな内容の記事を読んだことがある。「チップの2〜5%の違いは、せいぜい数ドルの違い。その『数ドルの違い』はレストランで食事をする身分のあなたより、それで生活している彼らのほうに大きな意味があるはず。払えるのだったら気持ちよく払った方がいい」ーーなるほど、格差社会アメリカの断面なんだなと思ったが、習慣になっていない日本人にとって、チップは「余計なお金を払う」という感覚をなかなかぬぐい去れない。

アメリカのレストランではテーブルごとに担当のサービス係がつく。たいてい最初に「I’m Jeff」とか名前を名乗ってボクが担当ですと自己紹介してくれる。ところが習慣になっていないので、いつも名前がうろ覚えになってしまう。「Jeffって言ってたっけ? Jackじゃなかったっけ?」 
名前を覚えておけば、コミュニケーションはスムーズだし、通りがかりの別のウエイターに「Jeffを呼んでくれる?」とか頼めるし。アメリカ人と食事をしていると、ちゃんと名前を覚えて「Thank you, Jeff」とか声をかけている。染みついた習慣の違いを実感するときですね。

担当のサービス係は、食事が半ば進んだ頃合いを見計らって必ず「Is everything all right?」と聞きに来る。「いかがですか? 何かご用はありませんか?」くらいの感じですかね(日本語に訳しにくい言葉ですね)。

特に何もなければ「Yes, thank you」でも「Very good」でも充分だが、「May I have some more bread?」(パンをもう少し)とか、食材についての質問とか、追加のオーダーとか、あるいは頼んだのに来ていないものがあればそのクレームとか、何でもこの時に言えばいい。サービスの質がチップの額に直結するチップ社会アメリカのレストランならではの慣習だが「Is everything all right?」と聞きに来てくれると本当に用事のあるときには便利なものだ。

レストランでサービスが悪かったらチップを払わなくてもいいか、という質問をいただいた。二度とくるつもりがなければ、チップは払わずに出てくることは割と簡単にできる。

食事が終わったら担当に「Check, please」と言うと勘定書を持ってくる。クレジットカードで支払うときは、ここでカードを渡すと、カード用の計算書とボールペンを持ってくる。担当のサービス係と言葉を交わすのは、たいていこの場面が最後だ。

カードの計算書は2枚届く。お店と客の控え用があって内容は同じ。Subtotalの項目に請求額が表示され、その下にTip、Total、Signatureの三つの項目がブランクになっている。例えば昨日の朝の散歩で立ち寄ったLe Pain Quatidian、Subtotal 28.32 となっていて、これにTip 5.00を書き入れ、Totalに33.32と書き、店用コピーだけSignature欄にサインをしてテーブルにおいて席を立つ。

つまりこの時点で担当はチップの額がいくらだか知らない。なので、チップ欄にゼロを入れた計算書を作って店を出てしまっても気まずい思いをすることはない。二度とくるつもりのない店だったらやってもいいかもしれない。サービスや料理が気に食わなくて怒っているぞ、という意思表示には、むしろチップをゼロではなくて、1セントとか10セントとか極端に少ない金額を支払うという方法もあるそうです。

私たちはこちらに住み始めて数日しかたっていない時に、家の近くのこぢんまりした中華料理店で食事をし、主人とふたりとも、すっかりチップのことが頭から抜けていて、届いた計算書にサインだけして出てきてしまったことがあった。その夜、あっと気づいて、翌日もう1回その店に食事に行った。小さな店なので同じ若い女性が担当。「ごめん、昨日はチップのことをすっかり忘れていたの」と謝って、その夜は2日分のチップを払ったことがある。

それから、料金はカードで支払っても、チップは現金でおくのが、一番スマートで好まれる。気に入った店でなじみ客になるつもりなら、頻繁に通って少し多めのチップをいつも現金でおいてくると、きっと何回目かに扱いが変わって、いい席に案内されたりするかもしれない。

それと、5人とか6人以上とか大人数で行くと、勘定書に18%とか最初からTipが加算されてくる店がある。これは、その店のシステムでメニューや勘定書にちゃんと明記されている。その場合は勘定書どおりの金額を支払えばOK。8人くらいで食事をした後に、食事会を企画した友人のアメリカ人は、それでも、さらにチップを追加しておいたのを見たことはあります。いろいろ無理聞いてもらったからね、あの時は...

友人と食事に行って割り勘(go Dutch)にしたい時、勘定書を別々にもらわないとカードで支払いができない。そんなときは事前に”We would like to have separate checks.”と伝えると、別々に注文をとってくれる。勘定書が別ということはチップも別にもらえるので基本的に嫌な顔をされることは少ない。二組のカップルが一緒に食事をして、それぞれ別の勘定書にサインをしている光景は、よく見かける。

Separate checkで食事をしていても、飲み物は全員分を私が払うとか、デザートはおごるわ、という状況が発生する。そんなときの便利な言い方が「Put it on my tab:私の勘定につけておいて」。ホテルのレストランで食事をして宿泊費にまとめてもらうときも「Put it on my tab」と伝えるのが一般的な言い方だ。

レストラン以外にチップの必要な場面がタクシー。タクシーは面と向かって勘定をするのでチップを払わないのは難しい。昨年東京から遊びに来た友人はニューヨークで、タクシーの運転手からチップが少ないと文句を言われた、と言っていた。ワシントンでは聞かない話だなと思ったけれど、大都会ニューヨークはそういう場面でもギスギスしているのかもしれない。

他に美容院・理容院もチップが必要です。どの場面も15%以上、20%未満で考えれば邪険に扱われることのない相場、というのが暮らしてみての実感。日本で買えるカード型の小さな電卓を持っていると目立たずにチップ計算できて便利です。

レストランで食事をし、タクシーで移動し、美容院で髪を切るあなたは、財力のある人。そこでサービスを提供している貧しい労働者にチップをはずむのは、”持てる人種”のあなたの義務のようなもの。チップは、あなたの財力の証明なのだから。

それがいやならセルフサービスでまずいものを食べ、時間をかけて地下鉄やバスで移動し、自分で髪を切るという選択肢もあるーーこれが、格差社会アメリカの社会システムだ、ということです。

そんなわけで、「チップは簡単よ、払えばいいのよ」と言っていたアリスンの言葉が、何となく実感として分かるようになりました。