パリにて 「欧米」の違いを考える

Mac5102010-04-13

パリに来ています。アメリカ東部を土曜日の夕方に発って、パリには日曜日の早朝着。空港で両替したり、パリの美術館博物館の共通パス「Paris Museum Pass」を買ったり,少しゆっくり用事を済ませてからタクシーでホテルに向かったが、それでも朝9時前にホテル着。まだチェックインできないので、荷物を預けて町に出る。

5日間乗り放題チケットを買って地下鉄に乗り、パリのど真ん中「シャルトル」で降りて歩き始めてみると、前方のリボリ通りを、ゼッケンをつけたマラソンランナーが延々と続いて走っていく。どうやらパリマラソンのスタート直後に遭遇したらしい。

面白いので、しばらくマラソン観戦。後で調べたことですが、参加者37500人、凱旋門をスタートしてシャンゼリゼコンコルド広場、セーヌ河畔、ブローニュの森までパリの名所を結んで走るフルマラソンで、5時間45分以内に完走すると「金メダル」がもらえるそうです。デンマークだの、スイスだの、オーストリアだの、周辺各国の国旗マークのウエアを着たランナーもたくさんいました。日本人ランナーも見かけました。

午後3時過ぎに凱旋門近くを歩いていたら、完走して金メダルを首にかけて歩いている参加者を数多く見かけましたが、地下鉄駅の階段を下りるのに手すりにつかまって一歩一歩立ち止まらないと歩けない人、応援に来ていた家族や友人に支えられてようやく歩いている人がたくさんいました。みんな明日は仕事にならないでしょうね。

真夏の気温だったワシントンからパリに着いたら、パリは気温10度ちょっと。厚手のコートなど冬の恰好で歩いている人が多い。薄手のセーターに薄手のジャケットで来てしまったので、日なたを歩いている時は充分だが、日陰で風が吹くと寒い。天気は良かったので、あちこち歩き回ったのですが、途中、3回もカフェに入ってカフェオレで暖まった。

アメリカからヨーロッパに来てみると、あらためて、アメリカとヨーロッパは全く文化の違う場所なんだなと実感する。日本では「欧米」なんて言葉でいっしょくたに考えがちだけど、すごく違います。

まず(最近、この話題多すぎますが)、肥満の人が少ない。乗ってきた飛行機がユナイテッド航空だったので周囲はアメリカ人だらけ。ホントに3人に一人は”超級”の人でした。特に深刻だなあと思った人がいて、足下の広いキャビンのすぐ後ろの席に座っていた中年女性ですが「My table」を持参でした。つまり飛行機の座席に備え付けのテーブルだとお腹の肉が邪魔して使えない。なので、スタンドを立ててその上に天板をセットする簡易テーブルを持参していて、食事の時はそれを使っていました。ああいうテーブルとか「肥満対策商品」を売るWebサイトとかあるんでしょうね。

そんな「アメリカの現実」と一緒にパリに着き、パリの町を歩き出してみると”超級”の人はほとんど見ない。たまに見かけると英語を話している。

寒くて3回もお世話になったパリのカフェ。パリのカフェは伝統的にトイレが地下にある。自分で電気をつけて入り、用が終わる頃合いに自動的に電気が消えてしまう。前の人がつけた電気でトイレに入り、用を足している最中に電気が消えてしまう災難に遭うことがたまにある。

今日もそういう目に遭って、久しく忘れていたこのシステムを思い出した。電気のスイッチはドアの脇に必ずあるから、つければいいだけなのですが、フランス人のこういうケチなところ、実はけっこう好きです。今の時代だったら飛行機のトイレみたいに、カギをかけると電気がつく、カギを開けると消えるなど他の方法があるはずなのに、伝統的な一定時間で電気が消える方式が堂々とガンとしてまかりとおっている。アメリカではまず考えられないなと思う。電気が消えた途端に大騒ぎになりそう。

夕方ホテルに戻る前に、近くのスーパー、カルフールで買い物をした。レジ袋は、くださいと言わないと出てこない。もちろん有料。0.03ユーロ(4円くらい)でした。

一方、アメリカのスーパーは「My Bagを持参してください」というキャンペーンはやっているけれど「袋あります」と言わない限り、じゃんじゃんレジ袋に入れてくれる。もともとレジ袋が薄手なので、重たいものは2重にしてくれるし、1袋に2〜3品しか商品を入れないで、どんどん袋を使ってくれる。使い終わった袋はまとめてリサイクルボックスに戻せるのだが、回収率はしれたものだと思う。

ランチの時にフルーツの盛り合わせを食べた。ブドウが入っていたのですが、何も考えずに思いっきり噛んでしまった。口のなかでタネが砕けて、びっくりした。アメリカではブドウは原則としてシードレス。口に残ったタネを出すなんてことはしなくていいようになっている。

いけない、いけない。アメリカに馴染みすぎてしまったかも。

消費者に手間をかけさせない文化、それより多少の(多少で済まないことも多いが)ロスを承知で資源を使っても良しとする文化。人に「不自由」な思いをさせない「自由」を重んじる文化。

ヨーロッパとアメリカは、こういうところでは「欧米」と一括りに出来ない文化の違いが大いにある。むしろ、米に対して「日欧」を一緒にしたほうがしっくりするかもしれない。