バルセロナ・レポート

Mac5102009-06-01

1週間のバルセロナ旅行から帰ってきました。バルセロナは本当に、楽しい。

建築が好きなら

これほど楽しい町はない。もちろんガウディの建築した世界遺産がいくつもあって、それだけでもじっくり見ようと思ったら数日かかりますが、他にもガウディのライバルだった「モデルニスモ」と呼ばれる建築様式も見応え充分。さらに現代建築も際だっていて、日本人建築家もこの街で活躍している。オリンピックの室内競技場は磯崎新氏の設計。国際見本市会場は伊東幸雄氏によるもの。(バルセロナの若者に「ユキョイト」と言われて最初何だか分からず困ったのですがユキオ・イトウのことでした)

ガウディのサクラダファミリア教会の建築にも日本人は活躍している。彫刻家の外尾悦郎氏は、正面の「生誕のファサード」やスペイン内戦で破壊しつくされた「ロザリオの間」の復元を手がけ、そのことを「ガウディの伝言」(光文社新書)に書いているが、これを読みながら建築・彫刻を見ると、また見方が変わってくる。

ピカソもミロも

有森さんが走ったオリンピック競技場のあるモンジュイック(ユダヤ人の山という意味だそうです)に、白亜のミロ美術館がある。真っ白な壁に色鮮やかなミロの絵や彫刻がまぶしく、ミュージアムショップもかなり充実。
私が行ったときは、まだ4〜5歳の幼稚園児のグループが何組も見学に来ていて、若い美術館スタッフが絵の説明をしていた。いったい幼稚園児にミロの絵をどんなふうに説明するのだろう。説明はカタルニアの言葉だったから、ぜんぜん分からなかった。子供たちのグループはどこに行っても見かけました。幼稚園の頃から「郷土の誇り」に親しく触れるのはいいことですね。

ピカソは、バルセロナの出身ではないが、10代の頃にバルセロナの美術学校に通いパリに移り住むまでこの地にいた。その頃15〜16歳で書いたといわれる人物画(ただ者ではないことが明白に分かる)から、一部青の時代まで若い時代の作品が多い。あと圧巻なのは、晩年にお遊びで描かれたというベラスケスの「模写」シリーズ。題材のベラスケスの絵を、全部で57作に視点やパートを変えて描いているのだが、ピカソという人の目の動きというか頭の中というかが、ちょっと垣間見えた気がした。

なお行っていませんが、バルセロナからクルマで2時間くらいのフィラゲスという町にはダリ美術館もあるそうです。

石畳の旧市街

街の中心は、古い石造りの建物とその間を縫う石畳の細い路地。小さなアクセサリー店やバル(飲み屋)やカフェになっていたり、さまよい歩いて道に迷うのも、また楽しい。特にピカソ美術館は、そうした旧市街の中にある古い建物が使われている。

ランチは「ディナー」でレストランが開くのは午後2時〜4時。夕食はサパーなので午後8時30分くらいからでないと開かない。カフェやバルはいつでも食事が出来る。通りに面したテーブルで、タパスと呼ばれるつまみを数種類頼んでビールやサングリアを飲みながら夕方の時間を過ごす人が多いみたい。

そうそう、バルセロナで、いまひとつ納得できていないのが「パエリア」。サフランライスでからりと焼き上げた感じのパエリアにはお目にかかれず、パエリアというよりはリゾットいう感じのソースにどっぷりつかってベチャベチャなご飯にシーフードが乗っているものが供された。2回違う店で挑戦して、2回とも同じ結果。パエリアはスペインのなかでも、ここカタルーニャではなくて、バレンシア地方の名物料理らしいので、バルセロナでパエリアはお勧めではないかもしれない。

スリに要注意

スリは多い。被害には遭わなかったけれど3回この身で遭遇した。最初は混雑した通りを歩いているときに後ろから寄ってきた妊娠中の女性(!!)。私のバッグに手を伸ばそうとしたところを、数歩遅れて歩いていた主人が阻止した。
2度目はピカソ美術館近くの旧市街。12〜13歳くらいの少年で、これまた後ろから寄ってきたところを近くを歩いていたアメリカ人男性が鋭い口笛を吹いて声をあげた。少年はあかんべをして逃げていった。
3度目は地下鉄のなか。ティーンエイジャーの5,6人の集団に囲まれたが、荷物をしっかり持っていたので去っていった。彼らは次の駅でも乗ってきた旅行者夫婦を取り囲んでいたけど、成果はなかったみたい。
本当のプロ集団に遭っていたら被害ナシでは済まなかったかもしれないが、若い人たちがダメもと・肝試しでスリをしているように見えた。バッグは閉じてあるし、ちゃんと脇に抱えて歩いていたつもりなのに寄ってくるんだから。

乗り降り自由の観光バス

市内の観光名所をまわるツアーバスが3路線あって乗り放題。どこで乗って、どこで降りても、何度乗り降りしてもOK。最初に乗るときにイヤホンをくれて座席の前にある差し込みにジャックを差し込んで言葉を選ぶと(日本語がある)観光案内が聴ける。朝9時から夜8時過ぎまで運行している。私たちは2日券27ユーロを買って2日間このバスで回ったお陰で、市内の土地勘がつかめた。
2階のオープンデッキの席に座るのがいい。眺めがいいし、写真がとれる。ただ込んでいて2階席が空いていないことも多いので、次のバスを待つか、1階に乗って開いたら2階へ移動する手もある。バスは5分〜10分間隔で運行しているけれど日中はほぼ満席状態。日差しが強いので2階に座るにはサングラスか帽子が必需品。

町の概観がつかめて行きたいところがはっきりしているのなら、地下鉄がとても便利。10回分の回数券7.70ユーロを買って、二人で1枚の回数券を使うこともOK。観光客に慣れている町の人たちは、ちょっとまごついていると親切に声をかけて教えてくれる。

地下鉄でカンゲキしたのが、次の電車があと何分何秒で到着するか明確に表示されていること。時間にルーズな印象のこの国で、日本にもアメリカにもない秒単位までの表示があって、しかもそれが正確。列車の間隔は短くて3分以上待たされたことは、ほとんどなかった。

「カタルニアはスペインではない」

バルセロナのあるカタルニアは、スペイン語とは異なるカタラン語を話し、他のスペインの地域とは一線を画そうとする空気が根強い。もともと地中海の貿易の要諦で産業・芸術の栄えた町なので、市民の自尊心は強い。例えば通りを碁盤の目に配した都市作りを行った最初の都市とか、バルセロナ大学はヨーロッパ有数の規模と歴史があるとか。革新的・ラディカル・アナーキーであることを誇りにしている。
「カタラン語」は、ブラジルから来ていた女性に聞いたら、スペイン語とイタリア語とフランス語が混じっている言葉に聞こえる、と言っていた。確かに「こんにちは」はスペイン語:ブエノスディアス、イタリア語:ブォンジョルノ、フランス語:ボンジュール。この地方のカタラン語は”ボンディア”だ。

世界が集まる

今回は主人の仕事の会議がバルセロナであるというので同行させてもらった(自費で)。世界中から人の集まる国際会議や見本市が常に開かれている町で、泊まっていたホテルは、バルセロナ大学の近くだったせいもあり、他にコンピュータ系の会議が行われていた。

そうそう市の中心部にある見本市会場の前を通りかかったら「コミック見本市」が開催中でした。メイドカフェの超ミニ・メイド風ドレスを来た若い女性、金髪女性の浴衣姿、NANAのイラストが描かれた紙袋を大事そうに持っている少女などに出会いました。恐るべしニッポンのマンガカルチャー。

主人の仕事のメディア系会議では、最終日にバルセロナ市長主催の夕食会があり、国王が来たときにだけ使われる王宮に招待された。バルセロナの旧市街を見下ろす絶好の位置に立つ王宮の、見事な庭園に設えられた会場で、シャンペンと、つぎつぎに給仕が持ってくる数々のおつまみ(高級なタパスですね)をつまみながら、世界中から集まった人たちと話がはずむ。

この夜に話した人たち:ノルウェー、スエーデン、ハンガリーエストニア、ロシア、アメリカ、イギリス、オーストラリア、フランス、ドイツ、インド、南アフリカ、韓国などなど。あ、地元バルセロナの人も。そこそこ英語が話せることの楽しさをあらためて実感。ほとんどの人が英語は母国語ではないですが、実に気軽に話しかけてくる。間違っていたり訛っていたりはお互い様。
この日の昼間、チャンピオンズリーグ優勝に沸くバルサのスタジアムにあるショップに行き、バルサの紋章のついたネクタイを買ってきて主人がしていたので、地元の人たちからも次々声をかけてもらえました。

FCバルセロナ

バルサはただのサッカークラブではない。バルセロナ人の人生そのものだ」と言われるそうです。まあ、チャンピオンズリーグ優勝の夜の大騒ぎと、翌日の祝賀会の大騒ぎを目の当たりにしたら、納得です。

バルサ優勝から一夜明けた翌日5月28日のバルセロナは、まだ興奮の中。レプリカユニフォームを着た若者たちが街を練り歩き、通り過ぎるクルマがクラクションを鳴らして彼らにエールを送ると、歩いている若者たちも奇声を上げて応える。そんな光景を何度も見かけました。この日は、サクラダファミリアの工事現場にもバルサの旗が飾られていました。

この夜、マンUを下したチーム一行がローマから帰ってきて優勝祝賀会がカンプノウのスタジアムで行われました。夜の10時半という日本では考えられない時間にスタートした祝賀会に、10万人が入るスタジアムが満席になっているのがホテルの部屋から見える。テレビ各局が生中継した祝賀会は、選手が1人ずつ名前を呼ばれてスタジアムに登場し、最後に優勝カップが登場。主な選手が次々にマイクを握って感謝の言葉や感想を語り、スタジアム内と周囲の2箇所で一斉に花火が打ち上げられる・・・という内容。祝賀会は1時間くらいで終わって選手とカップは退場していきましたが、その後、ホテルの部屋から見ていたら周辺道路が大渋滞になっていました。人口150万人のバルセロナで10万人が集まるというのはすごいですよね。ハイテンションのファンはクラクションを鳴らしながら気勢をあげるので、街は夜半過ぎまで賑やかに盛り上がっていました。

祝賀会の翌日の午前中に、カンプノウにあるオフィシャルショップに行ってみました。平日でしたが大混雑。特に前夜の祝賀会で選手たちが来ていたTシャツは、サイズがMしかないのに、文字通り飛ぶように売れていました。私も2枚ゲット。COPA(スペイン国王杯)、スペインリーグ、チャンピオンズリーグの3つのタイトルを獲得した今年のチームの選手名が列記されている「三冠記念Tシャツ」です。また、レプリカユニフォームにその場で名前を印字してくれるサービスもあって、ここの行列が特に激しかった。

そんなわけで、主にサクラダファミリアとバルサを満喫した1週間でした。