COMMENCEMENT:卒業式シーズン

アメリカの5月末は大学の卒業式シーズン。卒業式はCommencement、「始まり」の意味。卒業は社会への第一歩というわけだ。卒業生はマントを着て角帽をかぶって式に出る。識者が招かれて祝辞のスピーチをすることも多い。日曜日、首都ワシントンにあるジョージ・ワシントン大学(全米で最も学費が高いことでも有名)のCommencementは、ABCテレビが中継をした(外出していたので見ていないけど)。

同じ日、全米の注目を集めたのがインディアナ州サウスベンドにあるノートルダム大学の卒業式。全米で最も有名なカトリックの大学だそうだ。記念スピーチに呼ばれたのがバラク・オバマ大統領。この大学の周辺は、頑冥なカトリック信者が主張する「Anti-Abortion」(中絶反対)運動が盛んな場所であり、オバマ大統領はこれとは反対の「Pro-Choice」の立場をとる(宗教的には、彼はカトリック信者です)。

そんなわけで、ノートルダム大学のあるサウスベンドでは、卒業式の数日前からオバマを招いた大学当局を糾弾する垂れ幕が掲げられ、中絶反対を訴えるデモ隊が連日大学周辺を練り歩き、その取材に全米のマスコミが押し寄せていた。

ところで、私はこの「Anti-Abortion」と「Pro-Choice」が、かみ合わない主張の衝突に思えてならない。
「Anti-Abortion」は、いかなる場合で中絶は絶対に認めないという頑冥な主張。レイプされて妊娠しても、妊娠後にAIDSに感染していることが判明しAIDS感染した子供を産んでしまうことが分かっていても中絶は認めない。これを国家の法律にしろという主張。芽生えた命を殺してはならないという宗教的倫理観は分かるが、一切の例外を認めないのはいかがなものか。またピルを飲むなどBirth Controlすら認めない宗派もあったように記憶する。

一方「Pro-Choice」は妊娠した女性が生む生まないを自ら「選択」できるという主張。これが、安易な中絶を促進するイメージを持たれていて、その安易さが10代の妊娠・出産率を増やしているのかもしれない。

レイプ、AIDSは極端な例だが、実際に望まない妊娠が周囲を不幸にしているケースは多い。それでも、いかなる理由でも中絶は認めないというのは頑冥すぎないかと思うが、一方は頑冥に過ぎ、一方はイージーに見えるので、どこまでもかみ合わない意見の衝突に思えてならない。

まあ、そんなわけで、ノートルダム大学卒業式の演説でオバマが何をしゃべるか注目されたのですが「Open hearts, open minds(大きな心で)でcommon ground(共通の足場)を求めていこう」と呼びかけ「大切なことは、望まない妊娠から中絶に走る女性たちを減らすことに力を合わせていくべきだ」と、しごくもっともなスピーチをしたわけです。

大統領一行は厳重な警備に守られて会場に入ったのでデモ隊に遭遇することはなく、会場でオバマのスピーチの最中に「Abortionは殺人だ」「人殺し」など叫んで警備員につまみ出された人が数人いた程度とか。学生たちは大統領のスピーチに「Yes, we can! We are ND」(NDはノートルダム)の大合唱で応え、2900人いる卒業生のなかで26人だけが、オバマを招いた大学当局への抗議として式に参加しなかったと新聞は報じています。

テレビ新聞で見る限り、抗議行動に参加しているのは一部聖職者とお年寄り。宗教的対立というよりジェネレーション・ギャップのように見えました。

ところで、ファーストレディのミシェル・オバマは、先週金曜日だったか、University of California Marced校の卒業式でスピーチをしています。こちらはカリフォルニア各地に点在するカリフォルニア大学のなかで、最も新しく最も小さい大学だそうで、第1期生の卒業式。地元紙の記事を読むと、4年前にはまだ校舎も完成していない状態で入学してきた学生たちが卒業式にはファーストレディを迎えるまでになったと、地元あげての大騒ぎだったようで、卒業式は屋外のグラウンドに学生・近隣住民合わせて1万5000人もが集まる盛大なものだったそうです。Marced校はサンノゼやフレスノに近く、いわゆるシリコンバレーの端っこですね。

ゴリゴリのカトリック教徒が集まる大学を選んだ大統領、進歩的なカリフォルニアでもさらに最も新しくて小さい大学を選んだファーストレディ、ホワイトハウスというかオバマ夫妻のこの辺のバランス感覚が面白いと思いました。