Tea Ceremony Presentation

知り合いの韓国系アメリカ人女性から電話があって彼女の所属する教会で、International Lady's Nightというお茶の会があるのだけど、招待したいと言われました。そのうえで、実は日本の茶道のプレゼンテーションを企画していた女性が急用で参加できなくなったので、道具は用意してあるんだけど、茶道の心得はないかしら?と聞かれました。

実はあるんですね。学生時代に伯母が茶道を教えていて高校・大学の5年間くらい茶道を仕込まれました(私の高校・大学時代を知っている人には意外かもしれないけど)。そんなわけで気軽に I can do it, count on me!と引き受けてしまったわけです。

トルココーヒーのプレゼンテーションもあるのよと言われたので勝手に異文化交流の会と思って参加したら、ちょっと違っていました。そこはバプチスト派の教会で、お茶の会の名称はGlobal Missions Conference 2008。教会が海外に布教の旅を企画し、そこに参加してきた人が体験を語る会というのが趣旨でした。コーヒーやお茶のプレゼンテーションは、異国文化を知るための余興のようなもの。

8人掛けの丸テーブルが8つ、壁際にも椅子が並び70人くらいの女性が集まっていました。教会ですから軽いお祈りのあと、最初のスピーカーが演台に立ってアジアへ布教にいった経験をユーモアたっぷりに語る。この時は自分のプレゼンテーションの準備であまりちゃんと聞いていなかった。

その後がトルココーヒーのプレゼンテーション。トルコの方と結婚されたアメリカ人女性がトルココーヒーの歴史と作り方を説明する。彼女自身はトルココーヒーは強すぎて飲むとひどい頭痛になるので実はまだ2回しか飲んでないのよ。2回ともひどい頭痛でもう二度と飲まないことにしたと言って、作り方の説明だけで実際にはトルココーヒーを作らずに終わってしまった。

次のスピーカーはアメリカ人のご主人と結婚されて滞米20年以上になるという日本の女性。もちろんネイティブ並みの英語で大学の教え子の日本人女性との関係から、自分の接し方が間違っていることに気づいて目の前が開けていく体験をちょっと涙まじりに語って大きな共感を呼んでいた。

次がいよいよ私の茶道のプレゼンテーション。茶道といっても用意されているのは抹茶と茶碗と茶杓茶筅だけ。本格的なお点前というわけにはいかない。むしろここは、茶道のバックグラウンドとか文化を語るべきところだ。一応およその準備はしていたものの、70人もの興味津々のアメリカ人女性を前に英語のプレゼンテーションは緊張する。

まず、本来予定していた人がこられなくなり私は助っ人で、今年の5月にアメリカに来たばかりで英語もおぼつかない、茶道をやっていたのはずっと昔のこと、などと言い訳からスタートする。会場のあちこちからYou are doing very good!とか暖かい声援が飛んでくる。まあ、軽く茶道の歴史をさわり、茶室という小さなタタミマットの部屋は、入り口がこのくらい小さくて(と大きさを示し)どんなに身分の高い人でも腰を下ろさないと入れない。また武士が刀を持って入ることが出来ないようになっている。これは、茶室が身分の違いを超えて対等に話ができる場所という意味で、歴史上の大事な話し合いの舞台になったこともある、なんていう話をしてみたわけ。”No violence, no quarrel in a tea room” なんて言ったらウケてくれた。

すっかり忘れていましたが、以前にやっていた頃、お茶を点てる時間は静かで心が落ち着くところが好きだった。そんな詫び寂びの心と、あとはおいしい和菓子がつくところも茶道の魅力だと伝え、先日日本から遊びに来た友人にもらった虎屋の羊羹を持って行ったので、懐紙に羊羹を載せて食べてもらい、お茶を点てて何人かに飲んでもらった。聴衆は全員が女性だから、抹茶にはビタミンCが豊富に含まれているのでGood for your health and beautyであることもしっかりアピール。

終わってみれば我ながら上出来だったと思う。沢山の人からGood job! I'm impressed! Fabulous!などと声をかけてもらい(みなさん本当に社交的ですよね)、多くの人と話をする時間が持てました。いやあ、芸は身を助けるというけど本当です(大した芸でもなかったけど)。

私は父方も母方も祖母がしっかりした人で、学生時代に母方の祖母から「若いうちに何でも身につけてしまいなさい。お金や地位と違って身についたものは誰にも取り上げられないのだから」と言われたことがあって、この言葉を何かをやるときの支えにしてきたのですが、本当に何ごとも尻込みせずにやってみることだとあらためて感じ入った次第でした。

ところで、お茶の会そのものは3人のスピーカーがそれぞれに体験を語り、スピーチが終わると会場からメンバーの1人が立ち上がって演台に行き、そのスピーカーのためのお祈りをする、というスタイルで進みました。SpeakerもPrayerも自分で原稿を用意していて、自分を表現するためのプレゼンテーションが、この社会ではとても大切なことなのです。貴重な体験でした。