ヒラリーが戦い続ける意義

さてさて、今日はサウスダコタとモンタナで、最後の予備選挙の投票日。とうとうオバマ過半数に達して、クリントンの敗退が決まるだろうと言われている。
勝ち目がないのに頑張るヒラリーを批判する声も多いけれど、あの頑張りを評価する声もかなりある。
3週間前のウエスト・ヴァージニア州の予備選で勝った後に「私は最後まで戦う。なぜなら私が最も強い候補者だと信じているから。そして、アメリカ大統領には最も強い候補者がなるべきだと信じているから」というパワフルな発言をして「ヒラリー見直した」的な論調が増えました。ところがその後「ビル(夫のクリントン元大統領)が候補者に決まったのは6月、ボブ・ケネディが死んだのも6月だった。だから6月は何が起きるかわからない」と発言して、一転、大ブーイング。
ボブ(ロバート)ケネディは、ジョンFケネディ大統領の弟。人種差別撤廃を訴える公民権運動を支持して戦っていた大統領選挙期間中に暗殺された。ヒラリーの対立候補バラク・オバマは初の黒人大統領候補。これを快く思わない層がいるのは確かで、彼の周辺は暗殺の危機にピリピリしていて、でも、それを口に出さないのが暗黙の了解だった。それを口にしてしまって、しかもオバマの暗殺を待っているかのような発言。もちろんすぐに「軽率だった、そんなつもりはなかった」と謝罪をしているが、大きくミソをつけてしまったのは確かだった。
ここへきてブーイングも止んで、再びヒラリーが頑張ることには意義があるのだ、という擁護論が増えているように思う。いくつかの記事の論調をまとめてみると
−− 彼女が強い決意と政策を語り続けたことで、国民の間に、女性が大統領となって国を治める能力があると認識され、女性が大統領になることへの反発や違和感が解消している。それは、彼女でなくても、その後に続く女性たちにも大きく道を開いたことになる。また、ヒラリー自身も4年後、あるいは8年後に再び立候補して大統領に就任する可能性は十分に残っている。8年後であっても、今年の共和党候補ジョン・マケインの年より、ヒラリーはその時まだ若いのだ −− と、こんな具合。
今夜はテレビ各局とも選挙報道一色になるでしょう。注視してみたいと思います。